大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

長崎地方裁判所 昭和62年(ワ)5号 判決 1989年9月14日

原告

坂井東大

右訴訟代理人弁護士

石井将

市川俊司

被告

日本国有鉄道清算事業団(旧名称・日本国有鉄道)

右代表者理事長

杉浦喬也

右訴訟代理人弁護士

村田利雄

杉田邦彦

右指定訴訟代理人

荒上征彦

利光寛

川田守

滝口富夫

増元明良

内田勝義

主文

一  原告が被告に対し、労働契約上の権利を有する地位にあることを確認する。

二  被告は、原告に対し、金六七七万六六〇〇円及び平成元年四月から本判決確定日まで毎月二〇日限り金二一万八六〇〇円を支払え。

三  原告のその余の請求を棄却する。

四  訴訟費用は被告の負担とする。

五  この判決は、二項に限り仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  原告が被告に対し、労働契約上の権利を有する地位にあることを確認する。

2  被告は、原告に対し、昭和六一年九月二日から毎月二〇日限り金二四万二六一〇円を支払え。

3  訴訟費用は被告の負担とする。

4  第2項につき、仮執行宣言。

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

(一) 被告は、日本国有鉄道法(以下「国鉄法」という。)に基づき設立された鉄道事業を営む公共企業体であったが、昭和六二年四月一日、日本国有鉄道清算事業団法により、名称が「日本国有鉄道」から、「日本国有鉄道清算事業団」に変更された。

(二) 原告は、昭和三六年四月一日被告に雇用されて長崎駅に配属され、後記懲戒免職処分が発令された昭和六一年九月一日当時同駅の構内指導係として勤務していたものであって、国鉄労働組合(以下「国労」という。)の組合員で、国労門司地方本部長崎支部長崎駅連合区分会に所属し、同支部執行委員、書記長等を歴任した後、昭和五二年一二月から右連合区分会執行委員長の地位にあったものである。

2  懲戒免職処分の発令とその無効

(一) 被告は、九州総局長石井幸孝を被告総裁代理として、昭和六一年九月一日、原告に対し、国鉄法三一条に基づく懲戒処分として、原告を免職にする旨の意思表示をなし(以下「本件処分」という。)、原告との労働契約関係を否認している。

(二) 本件処分の理由は、「昭和六一年四月二六日、同年五月七日、同年六月二日、同月三日、同年七月一日長崎駅構内において職員として著しく不都合な行為があった」というものであるが、その処分事由に該当する行為は、いずれも存在しないか、もしくは、就業規則上懲戒免職という極刑をもって応じなければならない程悪質かつ重大な非違行為というべきものではないので、本件処分は懲戒権の濫用であり、無効である。

3  賃金請求権

本件処分は無効であり、原告と被告との間には労働契約関係が存在するので、原告は被告に対し賃金請求権を有するところ、本件処分当時の原告の賃金は、昭和六一年四月から同年六月までの三か月間の平均で、月額二四万二六一〇円であり、その支給日は毎月二〇日であった。

4  よって、原告は、被告に対し、労働契約上の権利を有する地位にあることの確認を求めるとともに、被告に対し、労働契約に基づき、昭和六一年九月二日から毎月二〇日限り金二四万二六一〇円の賃金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1(一)  請求原因1(一)の事実は認める。

(二)  同1(二)のうち、原告が昭和三六年四月一日被告に雇用されて長崎駅に配属され、本件処分が発令された昭和六一年九月一日当時同駅の構内指導係として勤務していたものであること、原告が国労組合員であったこと及び原告が長崎駅連合区分会執行委員長の地位にあったことは認めるが、その余の事実は知らない。

2(一)  同2(一)の事実は認める。

(二)  同2(二)のうち、本件処分理由は認めるが、その余の事実は否認し、その主張は争う。

3  同3の事実は否認し、その主張は争う。

昭和六一年四月から同年六月までの間に支給された賃金のうち、休日給、夜勤手当、特殊勤務手当、通勤手当、基本給調整額、児童手当等はいずれも所定の勤務に服する場合に支払われるものであり、所定の勤務に就かなかった原告に対し本件処分当時の賃金としては認められないのであるから、原告の本件処分当時の賃金月額は基本給二〇万九六〇〇円と扶養手当九〇〇〇円の合計金二一万八六〇〇円であった。

三  被告の抗弁

(本件処分の正当性)

被告は、原告を本件処分に付したが、原告が懲戒事由に該当する行為をなすまでの経緯、その行為の具体的内容及び本件処分を決定する際に考慮した情状等は、以下のとおりである。

1 原告が懲戒事由に該当する行為をなすまでの経緯

(一) 被告は、巨額の累積債務を抱えるに至ったことから、昭和五五年一二月二七日、日本国有鉄道経営再建促進特別措置法が制定され、その経営の健全化が緊急の課題となった。そして、昭和五七年一月以降被告の職場におけるいわゆるヤミ手当、突発休、ヤミ休暇、現場協議の乱れなどが広くマスコミ等に取り上げられて批判を受けるに至った。そこで、同年三月四日運輸大臣から被告総裁に対し、職場の実態についての総点検の実施とその結果に基づく厳正な措置の指示がなされ、さらに被告総裁は、翌三月五日全国の各鉄道管理局長等に対し「職場規律の総点検及び是正について」との通達を発し、被告の全職場を対象とする総点検を実施することを命じた。これを受けて、右局長等は全国の現業機関で総点検を行ったところ、悪慣行による職場規律の乱れは広くかつ深く、その内容においても予想を超えるものであることが判明した。また被告の地方機関である門司鉄道管理局においても、右総点検の結果、管内の各職場で同様の悪慣行が蔓延していることが明らかとなったため、門司鉄道管理局長は、同年四月一日管内全職員に対し、「みんなで職場の規律を正そう」と訴えるとともに、同日管内のすべての現場長を集め、総合現場長会議を開催し、職場規律確立のための基本的取り組み方を決めた。以後、総合現場長会議、地域別現場長会議、重点職場の事情聴取及び管理者指揮等を繰り返し、かつ第二次総点検(昭和五七年四月から同年九月まで)から第八次総点検(昭和六〇年四月から同年九月まで)を実施するなどして、門司鉄道管理局と管内各職場が一丸となって悪慣行の是正や職場規律の確立に取り組んできた。

また昭和五七年七月三〇日、第二次臨時行政調査会の第三次答申(基本答申)が政府に提出されたが、その中で被告の緊急にとるべき措置として、職場規律の確立を図るため、職場におけるヤミ協定及び悪慣行は全面的に是正し、職員の違法行為者に対しての厳正な処分、職務専念義務の徹底等の人事管理の強化を図ることが必要であるとの指摘がなされた。これを受けて、政府は、同年九月二四日の閣議で行政改革の大綱を定め、同時に国鉄の再建について異例の政府声明を出し、あわせて職場規律の確立等の一〇項目の緊急対策を決定した。そして、翌五八年五月一三日、いわゆる国鉄再建監理委員会設置法が成立して、同年六月一日、総理府に同委員会が設置されたが、同委員会は、同年八月二日、「日本国有鉄道の経営する事業の運営の改善のために緊急に講ずべき措置の基本的実施方針について」(いわゆる緊急提言)において、職場規律の確立や要員の縮減等を図る必要があるとし、この中で、職場規律の確立については、「職場規律は、およそ組織体が円滑に運営されていくための基盤であり、そこに乱れがあるという状態では国鉄の再建は到底おぼつかない」と指摘した。

以上のように、本件処分の理由となった懲戒事由に該当する行為がなされた当時における被告をとりまく情勢やその経営状態は極めて厳しい状況にあり、被告は、全職員が一丸となって経営再建に不退転の決意で取り組み、再建施策の基盤となる職場規律を確立すべく全力を傾けなければならない状態にあった。

(二) ところで、被告においては、昭和四三年四月、公共企業体等労働委員会の勧告により、労働組合との間で、「現場協議に関する協約」を締結し、現場における労使関係の円滑かつ平和的解決を図ることを目的とする現場協議制が設けられた。しかし、昭和五七年三月に実施された職場実態の総点検の結果、現場協議制につき、開催回数が多いこと、一回当たりの時間が非常に長いこと、説明員や傍聴者が多数出席し、集団交渉的な様相を呈し、現場長等に対するつるし上げの場となる原因ともなっていること、管理者に対する中傷・誹謗等により整然とした協議が阻害されていること、前段整理と称して、現場長の権限外事項を持ち出し、これに応じないと本論に入らないことなどの運用の乱れが生じており、これが現場における業務の正常な運営を阻害する最大の要因の一つとなっていることが判明した。その原因は、現場協議制に対する労使双方の考え方の相違など、右協約自体に問題点が内在したことにあった。そこで、被告は、臨時行政調査会の基本答申や政府の一〇項目の緊急対策決定等の中で、現場協議制につき、業務の正常かつ円滑な運営に支障が生じないように本来の趣旨に則った制度に改めるよう指摘がなされたこともあって、同年七月一九日以降各組合に対し、右協約についての改定案を提案して団体交渉に入った。その結果、国労以外の労働組合との間では、被告提案の改定案につき妥結したものの、国労との間では妥結に至らず、同年一一月三〇日をもって右協約は失効し、翌一二月一日以降は国労との間では無協約となった。

(三) 長崎駅においても、職場規律の乱れは広く、かつ深いものであり、全国でも有数の職場規律の乱れ、悪慣行の蔓延した問題職場となっていた。昭和五七年当時のその主なものは、現場協議の乱れ、点呼の乱れ、勤務時間中の組合活動、ヤミ休暇、集団交渉の名による管理者のつるし上げ、服装の乱れ、突発休の多発、無断早退、昼食・夕食時の休憩時間変更拒否、ビラ張りなどであり、これらは就業規則・協約等の定めに反することはもちろん、社会通念上も許容できないものであることから、労使慣行として成立する余地もない。

このため、昭和五七年四月一日の前記総合現場長会議において、職場規律確立の基本的な取り組み方が門司鉄道管理局から指示され、悪慣行については、右管理局のバックアップの下で駅長の責任において是正すべきことを決め、以後同管理局と長崎駅管理者が対策会議を重ねるなど、右管理局と現場とが一体になって、職場規律の確立に取り組んできた。具体的には、駅長をはじめ長崎駅の全管理者が点呼、業務掲示或いは日常業務の中で職員に対し、悪慣行の是正を繰り返し通告し、また右管理局においては点呼立会等に職員を派遣するなどして指導を行い、第一次総点検から第八次総点検を実施する過程において、徐々にではあるが職場規律の確立に実効を上げていった。そして、第八次総点検が終わった段階では、勤務時間中の組合活動(情宣活動、組合事務所への出入り)、点呼の乱れ(特定日の立席呼名拒否)、服装違反(ワッペン及び国労バッジの着用、特定日の赤腕章着用)、突発休、管理者に対する集団抗議・暴言等が是正されないまま残っていたため、その後も長崎駅管理者は、右管理局の指導を得てこれらを是正すべく全力を傾注していた。

ところが、昭和六一年五月一日長崎駅において、荷第一〇三七列車のヒーターホース破損事故が発生したが、その原因は、定められた作業ダイヤを勝手に変更し、二人作業のところを一人で作業するいわゆる裏作業ダイヤであった。そして、他の作業についても調査した結果、第二運転室の運転従事員にかかる約一〇作業について裏ダイヤによる作業が行われており、これに伴って休憩時間の延長及び勤務時間中の入浴が行われていることが判明した。この裏作業ダイヤについては、第五次総点検後全国的に是正済みとされていた事柄であったため、右管理局や長崎駅としては、これを重大な問題として据え、翌五月二日同駅の第二運転室を中心に同管理局の実態調査がなされた。その結果、長崎駅に対し、各人の作業実態の完全把握と併せて、第二運転室の詰所、食堂、ロッカー室等における職場の整理整頓、職場環境の改善等が指摘され、かつ同駅の職場規律が確立するまで、さらに総点検を実施することが指示された。

2 本件処分の理由となった懲戒事由に該当する具体的事実

(一) 昭和六一年四月二六日の行為

(1) 同日午前の点呼終了後、長崎駅輸送総括助役田口大策(以下「田口助役」という。)は、同駅構内指導係の職にあった瀬崎源勇(以下「訴外瀬崎」という。)に対し、昭和六〇年一一月一三日の事故の件について処分通知をするので、午前九時までに首席助役のところに赴くよう通告したが、訴外瀬崎がそれに従わないで構内詰所に入ったため、田口助役も同詰所に入室して訴外瀬崎に駅長室に行くことを指示したところ、同人は「何も悪か事はしとらん。」とこれを拒否した。そこで、田口助役が訴外瀬崎に対し、「一一月一三日に車両破損をさせたことは事実でしょうが。」と言ったところ、同詰所にいた原告は、すかさず「行賞規程ね、懲戒規程ね。」と言って、田口助役の訴外瀬崎に対する通告を妨害した。これに勢いを得た訴外瀬崎が「中味はなんね、総括は知らんとね。」と言うので、田口助役は「俺は知らん。」と処分の内容を聞いていないことを言い、「とにかく駅長室に行きなさい。」と再度通告をしたが、訴外瀬崎は駅長室に行く時間が十分あったにもかかわらずその場を動こうとしなかった。

なお、田口助役が「俺は知らん。」と言ったのは、上司から処分の内容を聞いていなかったという趣旨であった。

(2) 田口助役は、昭和六一年四月二六日午後二時一〇分ころ、右構内詰所において、訴外瀬崎の作業間合が生じたので同人に対し駅長室に行くよう指示したが、訴外瀬崎がこれを拒否したので、田口助役は駅長室の庶務助役西依正博(以下「西依助役」という。)に訴外瀬崎が指示に従わない旨を連絡した。

(3) 同日午後二時一四分ころ、右連絡を受けた西依助役は、首席助役鉄屋幸男(以下「鉄屋首席助役」という。)と相談のうえ、訴外瀬崎の処分通告を輸送本部で行うことに変更し、右両助役は駅長室を出て輸送本部に赴いた。そして、鉄屋首席助役は、田口助役をして訴外瀬崎に輸送本部に来るよう命じさせたが、同人はこれを拒否した。

そこで、鉄屋首席助役、西依助役及び田口助役は、やむなく同日午後二時二二分ころ、構内詰所に赴き、西依助役が同詰所にいた訴外瀬崎に対し「今から処分発令をする。」と通告したところ、同人は大声で「何ば偉そうに言いよっとか。」と怒鳴り返した。しかし、鉄屋首席助役はこれを無視して訓告書を読みあげ始め、途中訴外瀬崎がこれを遮るように大声で「規程どおりとは何か。」と怒鳴ったものの、鉄屋首席助役は訓告書を読みあげて通告を終了させ、ついで西依助役が訴外瀬崎にその訓告書を手渡そうとしたところ、同人がその受領を拒否したので、やむなく西依助役は右訓告書を訴外瀬崎の側の椅子の上に置いた。

すると、同詰所の椅子に座っていた原告外三名が立ち上がり、「何かこりゃ、規程どおりちゃ何か。」「俺たちゃ、規程どおりしよる、こりゃ取り消せ。」などと口々に大声でわめいたので、鉄屋首席助役が右処分は局長が発令したもので取り消せない旨説明したところ、原告は「そしたらどげんすりゃよかとか、言うてみろ。」と大声で怒鳴った。そこで、西依助役が大声をあげる原告らに対し、「あんたたちは関係ない、これは瀬崎君に言うとると。」と再度注意したところ、原告ら四名は、「関係なかこたなか、俺たちも同じ仕事をしよる。」と大声をあげ、これに同調して同詰所にいた他の職員も大声を出し、同詰所は騒然となったので、鉄屋首席助役、西依助役及び田口助役は輸送本部に引き上げた。

(4) 同日午後二時二五分ころ、原告を先頭に七、八名の職員が輸送本部に押しかけてきて、原告が訴外瀬崎に対する訓告書を鉄屋首席助役が座っている机の上に置き、同人に対し、「規程どおりしとらんちゃ何か言うてみろ、お前知っとるか。」と大声で怒鳴った。これに同調して他の職員も口々に大声をあげ、室内は騒然となった。そこで、西依助役が業務妨害となるので、「直ちにこの部屋から出なさい。」と退去通告をなし、以後鉄屋首席助役とともに退去通告を一〇数回繰り返したが、原告らはこれに従わず、原告は鉄屋首席助役らに対し、「抗議と言われれば抗議じゃろう。」「お前は同じことしか言いきらんとか。」「規程を言うてみろ、知らんじゃろうが何も知らんくせ、何ば言いよっとか。」「規程ばおしゅうか、運転取扱基準規程、九州総局運転取扱基準規程、作業内規たい。」などと大声で暴言、罵声を浴びせた。そして、他の職員らも原告に同調して口々に管理者に対し暴言を浴びせ続けたが、午後二時三三分ころに至り、原告が他の職員に引上げを指示したため、全員が輸送本部の室内から引き上げた。

(二) 昭和六一年五月七日の行為

鉄屋首席助役は、同日午後一〇時一一分ころ、輸送本部の入口に立っていたところ、当日公休の原告が私服姿で組合分会事務所方面から歩いて来て構内詰所に入って行くのを目撃した。

そこで、鉄屋首席助役が同詰所に行ったところ、原告は詰所横の風呂場をのぞき、さらに折り返し同詰所に来たので、鉄屋首席助役が原告に対し、「勤務者以外のものが勝手に詰所に入ったらいかん、出なさい。」と注意した。すると、原告は「だまっとけ、何ば言いよっとか。」と言いながら寝室とロッカーのある二階に上がって行った。続いて鉄屋首席助役も原告の後を追って上がって行ったところ、原告は寝室のドアを開けて室内をのぞき、さらにロッカー室のドアを開けようとしたが施錠してあり開かなかったため階下へ降りて行こうとしたので、鉄屋首席助役が勤務者以外は勝手に詰所に入ってはいけないと注意したところ、原告は「何ば言いよるかだまーとれ。」と大声で怒鳴りながら階下に降りた。

そこで、鉄屋首席助役が「だまっとれとは何か。」と注意したところ、原告が「何か。」と言って振り向きざま「こっちへ来い。」「来んか。」と手招きしながら大声ですごむので、鉄屋首席助役が被告職員としてあるまじき言動を注意したところ、原告は「こっち来い。来い。」と大声でわめくと同時に右手で鉄屋首席助役の左胸の襟を掴んで組合分会事務所方向に鉄屋首席助役を無理やり引っ張った。鉄屋首席助役は原告に引っ張られながら「何ばするとか。」と言って制止したが、原告は制止を聞き入れず、約六メートル引っ張ったところでやっと手を離した。

その後原告は、そのまま組合分会事務所方向へ歩き出したがすぐに後を振り向き、鉄屋首席助役に再度手招きし、「こっち来い。来い。」と鉄屋首席助役を右分会事務所の方へ誘導しようとしたが、鉄屋首席助役は夜も遅く照明が消された構内の暗い方向へ行くので、原告の態度から身の危険を感じその場で止まった。

(三) 同年六月二日の行為

(1) 西依助役、高木博昭助役(以下「高木助役」という。)及び兼田周祐助役(以下「兼田助役」という。)は、同日午後二時二〇分ころ、職場点検を行うため第二転てつ詰所に赴いた。第二転てつ詰所は約一・五坪位の広さがあり、同詰所の中には原告外二名の職員が椅子に座っていたが、入口付近には訴外川村職員(以下「訴外川村」という。)が足を他の椅子に投げ出して入口を塞ぐ状態であったため、西依助役一人が同詰所内に入り、高木助役及び兼田助役は同詰所の敷居の上に立っていた。西依助役は、同詰所内の左上の棚に新聞紙、週刊誌、青色シャツが雑然と置いてあったので、原告らに対してその棚の上の物を片付けるよう指示したが、原告ら三名はこれを無視して応じなかった。やむなく西依助役が棚の上を片付けるべく、組合機関紙「青年の声」や週刊誌等があったのでこれを撤去しようとしたところ、原告が組合機関紙であることを確認して「これは俺のだ、返せ。」「人の物を勝手に取るな。」と言ったので、西依助役は詰所にこんなものを置いてはいかんと注意して原告に返した。ところが、右組合機関紙を受け取った原告は、「人の物を勝手に取るな。」と言って座ったままの状態で再度同紙を棚の上に放り投げた。

(2) それを見た西依助役は、ここに置いてはいかんと注意して右手で棚の上の右組合機関紙を撤去しようとしたところ、原告は、「何ばすっとか。」と大声で怒鳴り、いきなり立ち上がり右手で西依助役の右手首を強く掴んだ。西依助役は、「何をするとね。離さんね。痛いじゃないか。」と言ったが、原告は手を離さないまま、「これは俺の物だ、名前を書いとろうが。二四時間ここに勤務だからここしか置かれんだろうが。」と言った。そして、西依助役は掴まれた手が痛いので振りほどこうとしたが、原告が手を強く掴んで離さず、同日午後二時二四分ころになってようやく掴んだ右手を離した。この間約二分間原告に掴まれていた西依助役の右手首は原告の手の形がはっきりと赤と白にまだら模様になって残っていた。西依助役は、「ああ痛かった、とにかく組合誌をここに置いたらいかん、また置くなら撤去する。」と注意して右手に持っていた右組合機関紙を原告に返した。

これを受け取った原告は、同紙を再度棚に放り投げる態度をしたが思い直してズボンの後ポケットに押し込んだ。西依助役は、原告に向かって掴まれた右手首を左手で指さして、「こんなに赤くなるほど掴まれた。ああ痛かった、これは大変なことをしたな。」と言ったが、原告は無言であった。

さらに西依助役は、棚の上に青いシャツがあったので、これは誰のものかと第二転てつ詰所にいた職員に尋ねたが分からず、誰かが忘れているのだろう、輸送本部に預かっておく、持主がいたらそう言ってくれと言って他の助役に指示し、午後二時二六分右詰所を出た。

(四) 同月三日の行為

鉄屋首席助役は、同日午前九時からの構内詰所の点呼に立会した後、午前九時一二分ころ、構内詰所横の食堂に入ったところ、机の上に私物の青いシャツが乱雑に置かれてあったので、手に取るとその下にジュリスト・労働判例特集があった。これを見ていた原告は、「のぼせた真似をするな。人の物を勝手に触るな。泥棒みたいに。」と大声を出した。またその青いシャツの横には、前日片付けるように指示していた訴外重野征太(以下「訴外重野」という。)のものである紙袋があったので、鉄屋首席助役が訴外重野に対し、これは昨日から片付けるべく注意している旨言ったところ、同人は「昨日からじゃなかと、今日持って来たと。」と言った。そこで、鉄屋首席助役が右紙袋の中をのぞき込んだところ、原告は、突然立ち上がり、「のぼせたことをするな。何ばすっとか、人の物を勝手にして。」と大声で叫びながら、鉄屋首席助役に掴みかからんばかりに詰め寄って来た。これを見て原告の後にいた訴外田村不二郎(以下「訴外田村」という。)が原告の肩を掴んでこれを制止した。

制止された原告は、鉄屋首席助役に対し、「あんまりのぼすんなよ。馬鹿たれが。わいはいい加減にしとけよ。」等大声で暴言、罵声を繰り返した。これを見ていた西依助役がそんな物の言い方はせず片付けるように注意したところ、原告は西依助役らに対し、「何を言うか、泥棒のような真似をしよって、この馬鹿が。」と大声で暴言、罵声を浴びせ、その後午前九時二二分ころ、勤務のため食堂を出て行った。

(五) 同年七月一日の行為

(1) 西依助役と高木助役は、同日午後零時三五分ころ、総点検に伴う職場巡回の実施のため、第二転てつ詰所に立ち寄ったが誰もおらず、同詰所を点検したところ、棚の上などに組合関係書類と思われる特大封筒二個と原稿用紙一冊を見付けたので、これを持って構内詰所に行った。

(2) 右両助役は、同日午後零時四四分ころ、構内詰所内の食堂に入ったところ、同所には食事中の原告外三名がいた。そこで、西依助役は、そのうちの訴外敷根春美(以下「訴外敷根」という。)に対し、「この書類は誰の物か、第二転てつ詰所にあったが。」と尋ねると、訴外敷根が「俺のもんたい。早う返さんね、人の物を勝手に取って油断も隙もなか。」と言ったので、西依助役はこれらのものを詰所内に置かないように注意して返した。すると、横から原告が「うるさいな、俺は休憩時間だ。」と口をはさんだ。

(3) その後西依助役は、午後零時四六分ころ、構内詰所内の机の上には落書がされた弁当箱が置かれ、またその机の上にあった鞄の中からは組合関係書類がはみ出し、さらに詰所休憩室入口には選挙関係の書類が散らばっていたので、それらを片付けるように原告らに注意したところ、原告は、「うるさかー。飯も食われんじゃっか。人の鞄に勝手に触るな。泥棒みたいに。」と大声で暴言、罵声を浴びせ続けた。これに対し、西依助役は再度片付けるように注意したところ、他の職員らが西依助役らに対し、「人の休憩時間に入って来て、うるさか休憩もされん。」などの野次、怒号を浴びせてその場が騒然とした雰囲気になった。そして、興奮した原告が「何ば言いよっとか。」と大声で怒鳴り、いきなり立ち上がると同時に皿の上にあった蟹の足を右手で掴み、約一メートル離れていた西依助役に力一杯投げつけた。西依助役はとっさにこれを横に避けたため当たらず、ことなきを得た。投げつけられた蟹の足は西依助役の左後方に落ちた。西依助役が「何をするか。びっくりするじゃないか。」と言ったところ、原告は「あんまりのぼすんな、人の飯の時間を邪魔しとって。」などと大声を発し、血相を変えていきなり立ち上がり机を回って西依助役に向かって行った。そして原告は、西依助役の左側に立っていた田口助役を右手で強く押し除けるとともに右手を直角に曲げて、西依助役の胸のあたりを強く押した。このため、西依助役は椅子の端に座っていた訴外田村にもたれかかるような格好で横倒しになった。西依助役は原告に対し、「あんた、なんばするとね。ひどいことをするな。」と注意した。これを見ていた訴外敷根が慌てて原告のところに行き、同人を抱き止めて制止し元の席付近に連れ戻した。連れ戻された原告は西依助役に対し、「休憩時間に何ばするとか。飯も食わさんで。」などと大声で怒鳴った。これに呼応して他の職員もこもごも大声を出し、室内は騒然となった。

(4) さらに同日午後零時五〇分ころ、西依助役が構内詰所の物置にネギの入ったビニール袋を見付けたので、これは誰の物か、と尋ねたところ持主がいなかった。そこで、西依助役が「これは輸送本部で預かる。持主がいたらそう伝えてくれ。」と言ったところ、そこにいた職員らは西依助役に対し、「何ばすっとか。いい加減にせんか。」などと大声で暴言、罵声を吐き続けた。この時、原告は「いい加減にしとけよ、飯も食わせんで。何で休憩室に来るか。」などと大声で叫び、さらに血相を変えて「あんまり権力を嵩にかけるなよ。」と大声を出して西依助役に再び掴みかかる姿勢を示したので、不祥事を懸念した訴外敷根が原告の前に立ち塞がってこれを制止した。この間食堂内は暴言、罵声が飛び交い騒然となった。その後午後一時〇三分ころ、西依助役がネギの入ったビニール袋を持って外に出たところ、原告は、食堂の中から西依助役に対し「泥棒、西依の泥棒、何ばするとか。」などと暴言、罵声を浴びせた。

(5) 西依助役は、同日午後一時二五分ころ、総局からの視察があるところ構内詰所内があまりにも乱雑になっているのに気付き、再び構内詰所の食堂に行き、机の上に放置されたままの弁当箱等を片付けてナイロン袋に入れ、食堂の隅に置き、持主が整理するように注意した。

3 本件処分を決定する際に考慮した事情

(一) 原告の過去における懲戒処分歴について

別紙1のとおりである。

(二) 原告の昭和六〇年四月一日から同六一年三月三一日までの間の非違行為について

別紙2のとおりである。

なお、右非違行為により、原告は昭和六一年四月期の定期昇給の際、二号俸減の処分がなされている。

4 以上のとおり、原告は再三再四業務妨害及び管理者に対し暴言罵声を浴びせる行為を行い、特に管理者に対し食べがらの蟹の足を投げつけたり、押し倒したりし、さらに襟を掴み引っ張り回すなどの行為は社会常識に照らしても著しく常軌を逸した悪質な行為であり、当時全職員が一丸となって被告再建に取り組み、かつ職場規律の確立のため全力を傾注して取り組んでいる中で、原告は常に率先して規律を乱す行為を平然と行ったものであって、右行為はいずれも日本国有鉄道就業規則一〇一条三号の「上司の命令に服従しない場合」及び同条一五号の「職務上の規律を乱す行為のあった場合」並びに同条一七号の「その他著しく不都合な行為のあった場合」の各懲戒事由に該当することが明らかである。そして、原告の過去の懲戒処分歴や非違行為、被告が当時置かれていた状況等の諸事情を考慮すると、その程度が懲戒免職処分を相当とするものであるので、本件処分は適法かつ相当であり、懲戒権の濫用にも該当しない。

四  抗弁に対する認否

1  抗弁1の事実は否認し、知らない。

2(一)(1) 同2(一)(1)のうち、訴外瀬崎が点呼終了後駅長室にいる首席助役のところに行かなかったこと、田口助役が訴外瀬崎に対し、「一一月一三日に車両破損をさせたことは事実でしょうが。」と言ったこと、田口助役が「俺は知らん。とにかく駅長室に行きなさい。」と言ったことは認め、その余の事実は否認する。

(2) 同2(一)(2)ないし(4)の各事実は否認する。

(二) 同2(二)の事実は否認する。

(三) 同2(三)のうち、西依助役、高木助役及び兼田助役が第二転てつ詰所(客転詰所)に赴いたことは認めるが、その余の事実は否認する。

(四) 同2(四)の事実は否認する。

(五) 同2(五)の事実は否認する。

3  同4の主張は争う。

五  原告の主張

1  懲戒事由に該当する行為の不存在

(一) 昭和六一年四月二六日の行為について

(1) 訴外瀬崎が点呼終了後駅長室(鉄屋首席助役)に行かなかったのは、同日午前八時四〇分から無線機の通話テストの業務があり、また午前九時二五分から開始される貨物の着機作業のため、早めに構内に出場し、準備をする必要があったからである。さらにホース破損事故については責任がないとの確信があり、被告当局の処分通告を理不尽なものと考えたからである。

(2) 田口助役が訴外瀬崎に「一一月一三日に車両破損をさせたことは事実でしょうが。」と言ったのに対し、未だ勤務時間に入っていない原告がその責任について釈明を求める発言をしたとしても、それをもって物理的に田口助役の訴外瀬崎に対する通告を妨害したということにはならない。

(3) 田口助役が「俺は知らん。」と言っているが、輸送総括助役という構内作業全般の責任者が処分の経過を全く知らないということはあり得ないし、そのような発言が出るということは、ホース破損事故の原因及び責任の所在につき、長崎駅当局が真面目な検討をしていないことの証左である。また仮に、知っていたとしても、「俺は知らん。」というような態度をとるところに、当時の長崎駅管理者の職員軽視の姿勢が現れている。そして、この四月二六日の件は、右駅当局が処分の通告さえすればそれで事足りるとして、被処分者からの説明要求を無視したことに原因がある。

(4) 原告の同日の勤務は客車担当転てつとして徹夜勤務であり、午後二時一〇分ころからはいわゆる実作業の合い間の手待時間にあたるため、構内から構内詰所(第二運転詰所と同一)に戻って着席待機していた。また午後二時二〇分ころからは貨物入検作業を終えた訴外瀬崎外三名も同詰所に戻って来た。そして、午後二時二五分ころ、鉄屋首席助役や西依助役らが同詰所に入室して来て、突然訴外瀬崎に対し、西依助役が「瀬崎君、処分を発令する。」と言って訓告を内容とする処分の発令通知書を読みあげ、その間処分の不当性が指摘されたことから、訴外瀬崎の膝の上に通知書を投げ出して、右助役らは輸送本部に引き上げていった。

(5) 訴外瀬崎の処分事由は、昭和六〇年一一月一三日、貨車の突放入換え作業中、突放車のホース破損が発見され、このため一三五〇レ貨物列車の発車が遅延したところ、右破損は前日突放車に添乗作業をしていた訴外瀬崎の作業ミスによるものであるとするにあった。しかし、その破損は、屈曲線の多い長崎駅構内で、二〇メートルもの長さのある突放車を突放・連結する場合、連結器の向きや自動連結器の閉塞などの不可抗力により発生することが多々あり、一概に訴外瀬崎の作業ミスと断定することはできないものであった。この事故後、国労長崎県支部青年部或いは駅連合区分会・運転班において、この事故の原因や責任、今後の改善措置につき職場討議を積み重ね、長崎駅当局にもその旨申し入れてきた。この問題は日常作業に関連する事項で、訴外瀬崎一人の問題ではないので、この問題についての原告らの質問や説明要求を「業務妨害」とか「抗議」として受けとめるのではなく、業務の一環として積極的に話合いが持たれるべき性質のものであった。従って、訴外瀬崎に対する処分通告に対し、在室していた原告ら五、六名の職員がこの不当性を指摘し、かつ訓告処分の理由・説明を求めるため、鉄屋首席助役及び西依助役らの後を追って輸送本部に赴いたのである。

(6) 輸送本部において、訴外瀬崎や原告らが鉄屋首席助役らに対し、一〇分足らずの間、「処分理由が分からん。規程どおりの取り扱いをせんやったとはどういうことね。規程どおりの指導はしてきたとね。」等問い質したというにすぎない。またそこでの発言は、原告が中心となって行われたものではなく、そこに居合わせた職員全員から発せられたものであった。

そして、鉄屋首席助役らは、全く説明しようとせず、「関係ない。出て行け。」と繰り返すばかりであったため、原告らはその後まもなく同所を引き上げた。なお、この時間帯は、原告らにとって手待ち時間であり、所定作業に何らの支障もなかったし、鉄屋首席助役らにおいても特段の業務はなかったはずである。

(7) 以上のとおり、このホース破損事故については、むしろ作業内規や被告長崎駅当局の指導にも問題があったと思われる事案であったから、原告らの釈明要求は相当というべきであり、これに対する被告長崎駅当局の対応にこそ問題があったというべきである。

(二) 同年五月七日の行為について

(1) 被告当局は、同月二日以降職場環境整備月間と称し、九州総局、長崎管理部及び長崎駅管理者ら二〇数名を動員して、構内詰所に立ち入って私物を持ち去ったり、或いはロッカー室のロッカーを無断で開錠して私物の点検をするなどの違法行為を連日にわたって実施した。しかも、その実施方法は、職員に有無を言わさず、「ガタガタ言わずに作業をせよ。するとか、せんとか。業務命令違反。」などと職員に恫喝を加えて行われたもので、とりわけ労働組合関係の書類等を撤去することに主眼が置かれていた。

(2) 原告は、同月七日の勤務が「休」であったが、前日来の環境整備の実態を分会執行委員長として実地に検証すべく、同月七日午後九時三〇分ころ、第二運転室に赴いた。同室前には、鉄屋首席助役、西依助役をはじめ、田口助役、高木助役、兼田助役ら一〇名位の長崎駅管理者が蝟集し、組合員は勤務を終えた訴外重野以外には周囲にいない状況であった。原告は、直ちに一人で第二運転室二階に上がり、ロッカー室の状況を見たところ、解体された寝台・事務机・椅子が放り込まれ、雑然たる状況に一変していた。そして、鉄屋首席助役、西依助役ら五、六名の管理者は、原告が現れた直後からその後を追い、「早よ、出て行け。」等と口々に言いながら、原告の腕を掴んだり、引っ張ったり、背中を押したりなどして、構内詰所から原告を退室させようとした。そこで、原告は、やむなく第二転てつ詰所に行こうとしたが、鉄屋首席助役ら右管理者五、六名が「早う、帰れ。あんたが行くところに付いて回るけんな。」などと言いながら、さらに原告の後を追い、結局構内詰所前の生垣付近まで原告を取り囲むような状態が続いた。

(3) 右のとおり鉄屋首席助役が一人で行動するということはありえず、少なくとも六、七名の助役らが輸送本部付近に蝟集していた。そして、鉄屋首席助役が他の五、六名の管理職とともに原告の後を追い回したのである。そこで、原告は、しつこく後をつけ回す管理者に対し、その無益な行為を揶揄する意味で、「こっちへ来んね。」と言って手招きをしたにすぎないし、また構内は照明灯で比較的明るかった。

(4) 以上のように、周囲には多数の管理者がおり、むしろ原告が一人であったことから、原告が管理者から押されたりすることはあっても、原告の方が抵抗する鉄屋首席助役の襟を掴んで約六メートルも引っ張るなどできない状態であった。

(三) 同年六月二日の行為について

(1) 原告は、同日の勤務が客車入換担当転てつとして徹夜勤務であったところ、所定の作業を終え、午後二時一〇分ころ、訴外川村及び訴外井上雄司(以下「訴外井上」という。)とともに待機場所である第二転てつ詰所に戻った。そこへ西依助役、高木助役及び兼田助役らが入室して、いきなり同詰所内の点検を開始し、棚の上の雑誌や新聞を取り上げ、そのうち原告所有の組合機関紙「青年の声」を西依助役が取り出して勝手に持ち去ろうとした。そこで、原告と西依助役との間で、「それは俺んとやけん返さんね。」「これはあんたんとね、こげんとば置いたらいかん。持っていく。」などの問答が交わされ、右機関紙の取合が始まった。そして、原告は、西依助役があまりにも執拗に原告の私物を持ち去ろうとしたため、その左手で棚の上に伸ばして右機関紙を掴んでいる同助役の右手を瞬間的に掴み、無断撤去を制止しようとしたものであって、原告の利き手は右手であるから、反対の左手で二分間も強く掴むことはできない。

被告は、西依助役が二分間も強く掴まれたというが、その間西依助役は何の抵抗もしなかったのであろうか。また側にいた高木及び兼田両助役は何をしていたのか。これらの点について合理的な説明ができないことは、原告が西依助役の右手首を二分間も強く掴んでいなかったことの証左である。

(2) 以上のとおり、原告は、西依助役ら長崎駅管理者の常軌を逸した行動に対し、常識の範囲内で制止しようとしたものであって、何ら暴力行為として非難される余地はない。

(四) 同月三日の行為について

(1) 第二運転室横の食堂は、職員が休憩したり、或いは食事をとったりする場であるから、使用者の拘束を離れて自由安寧な雰囲気が確保されなければならない。しかるに、同年五月以降長崎駅管理者は、しばしば職員が休憩中の食堂に闖入し、室内の隅にある机に置かれた職員の私物である鞄や紙袋を勝手に開けて掻き回し、それらに在中する書類等を持ち去る事例が続発していた。なお同駅当局は、職員の要望を無視し、鞄置棚を撤去したため、食堂の机の外に置く場所がなくなったのである。

そして、六月に入っても、右管理者による同様の行為が繰り返され、本件前日の同月二日にも、鉄屋首席助役らが本件当日に問題となっていた訴外重野の紙袋の中に手を入れ、「片付けんとね。片付けんなら持って行く。」と言って、それを持ち去ろうとした。

(2) 六月三日午前九時過ぎからも、右のように前日同様の行為が鉄屋首席助役によって惹き起こされ、在室していた訴外重野及び訴外川村らが鉄屋首席助役に対し制止の発言をしたが、暴言を吐いたことはなかった。そして、六月三日訴外重野と鉄屋首席助役との間でやりとりのあった紙袋は、右のとおり前日にも問題となっていたところ、訴外重野は、六月三日当日出勤時に改めて持参したものであって、前日から食堂に置いたままにしていたものではなかった。従って、六月三日の件は、その紙袋が前日からのものかどうかを巡ってのものであったから、専ら鉄屋首席助役と訴外重野との間でやりとりが行われたのであり、原告はそれを傍観していたにすぎない。然るに、被告は、原告が何故何らの関係もない鉄屋首席助役に掴みかかったのかにつき、その状況の説明をしておらず、実に不自然である。

また訴外田村が原告の肩を掴んで制止したこともない。

(五) 同年七月一日の行為について

(1) 原告は、休憩時間であったので、第二運転室横の食堂内で訴外田村、訴外敷根、訴外田中精一(以下「訴外田中」という。)らとともに食事をとりながら雑談していたところが、午後零時四三分ころ、西依助役及び高木助役が食堂内に闖入し、客転詰所から撤去してきた訴外敷根の紙袋と原稿用紙を同人の眼前に差し出した。その後西依助役は、休憩室の畳の上にある新聞等を持ち去ろうとし、さらに午後零時四五分ころには、食堂の机の上に置かれていた訴外茂田のバッグ、訴外瀬崎の弁当袋、訴外池田の布製バッグを勝手に開け、それらの中をかき混ぜ始めた。そこで、食堂内にいた訴外田中、訴外敷根、訴外田村らは口々に「人の物を勝手にさわるな。」「ちょっと見えとるからといってあんた達が取る権利はなかろうもん。やめんね。」などと抗議したが、西依助役はこれを無視し、食事をしている原告や訴外田村の周辺を徘徊しながら、「これは何な、だらしないなあ。」などと暴言を吐き続けた。

これに対し、訴外田村が「今は休憩時間、飯を食いよろうもん。飯もゆっくり食べさせんとね。」と言い、また訴外田中も「休憩時間中、しかも食事中のところにわざとのごと来て、食事をゆっくり食べられんたい。常識で考えてみらんね。」と抗議をしたが、西依助役は「今日は総点検の日、見て回るのはあたり前。」だとして、「こりゃいかん、こりゃ問題ばい。」とこれみよがしに執拗に言いながら、机の上にある私物を扱いまわした。

(2) その間、原告は右西依助役の勝手奔放な振舞にじっと耐え、抗議にも加わらないでいたが、西依助役の行為があまりにも常軌を逸していたのに耐え兼ね、「あんたたちは何ね、今人が飯ば食いよるとの分からんとね。飯も食わせんし、人の物を勝手に扱っていい加減にせんね。」と言いながら、座ったまま食べかけて右手に持っていた蟹の足を前方のゴミ箱の方に投げたがその横に落下した。それにもかかわらず、西依助役はなおも原告に近付き、わざと大声で「こりゃ何や。いかん、いかん、預からんばいかん。」と繰り返し言いながら机の上の品物を振り回した。これを見て原告は、食事を一旦中止し、立ち上がって西依助役に近付き、「やかましかね、たいがいぶりにせんね。」と抗議したが、折から田口助役が入室し、原告と西依助役との間に入って来た。そして、田口助役は、原告と西依助役を分けるように双方の胸を押し戻したが、その際西依助役は傍らにあった長椅子が邪魔になって動くことができず、田口助役に押された勢いで長椅子に座り込む状態となった。ところが、西依助役は「恐ろしか。」と言いながら、右肘を下にして、後方の訴外田村を見やりスローモーションのように倒れ、長椅子の上に寝そべるような姿勢をとったため、周囲にいた訴外敷根ら職員から、「わざと倒れたくせに。」などと批判を受けた。

その後西依助役は、訴外田村の地区労選対ニュースなどを取り上げ、さらに元鞄置場にあった野菜の苗が入った袋を持ち出して運転本部に持ち去った。そして、同日午後一時二五分ころ、再び食堂にやって来て、弁当箱等をナイロン袋に入れ、運転本部に持ち去ったのである。

(3) 被告は、原告が皿の上にあった蟹の足を約一メートル離れていた西依助役に力一杯投げ付けたが、同助役がとっさにこれを構によけたため当たらずことなきを得たと主張するが、一メートルといえば原告が手を伸ばせばすぐ届く距離であり、当てようと思えば、眼をつぶって投げない限り容易に当てることができる距離である。しかも、力一杯投げたにもかかわらず、蟹の足は二メートル位しか離れていないゴミ箱の横に落下したのである。従って、蟹の足片で「ことなきを得た」という表現を含め、右主張は誇張され、不自然かつ非常識なものである。

(4) また被告は、原告が西依助役の胸のあたりを強く押したため同助役が長椅子の上に横倒しになったと主張するが、その後も西依助役は詰所内において私物あさりを続けており、管理者に対する暴行があった直後としてはあまりに不自然であって、むしろ原告による暴行はなかったというべきである。

(5) さらに訴外敷根が原告を抱き止めて制止したということもない。単に訴外敷根は、西依助役によって挑発がなされていると考え、「うてあわん方がよかたい。」と話しかけたにすぎない。被告当局側の挑発やいわれなき処分が数多く出されている当時の緊張した労使関係のもとで、分会執行委員長であった原告が後輩の組合役員らに制止されることなどあり得ない。

(6) 毎月一日は、「総点検の日」として、一〇数年来安全面や作業手順などについて点検がなされ、日常的業務遂行と密接な関連を有するものであった。しかし、同年七月一日の食堂での出来事は、同年五月以来繰り返されていた嫌がらせ的要素をもつ執拗な私物あさり以外の何ものでもなかった。

また労働基準法三四条三項は、休憩時間自由利用の原則を規定しているが、その法意は、休憩時間においては、労働者が疲労を回復するため仕事から完全に解放され、自由に過ごすことができるということにあり、本件の場合、所定の休憩時間を食事に利用するものであるから、使用者からの解放の度合は、精神的安寧を含めて特に強いものでなければならない。しかるに、西依助役らは、午後零時二〇分から午後一時までの原告らの休憩時間四〇分のうち実に二〇分にわたり、食事をしている原告ら職員の周囲を徘徊しながら、わざと大声で「こりゃ何や。いかん。いかん。あづからんばいかん。」などの言動を執拗にくり返し、私物のバッグや弁当袋・弁当箱などを触り続けたものであって、右西依助役の行為は、どのように考えても、労働基準法三四条三項の休憩時間自由利用の原則に反する管理者としてあるまじき非常識な行為といわなければならない。

(7) 被告は、食堂の机の上が乱雑だといって私物あさりの行為を正当化しようとするが、食事中机の上に弁当箱やジュース類を置くのは当然のことであり、特段非難されるに値しないし、また食事が終わればそれを片付け、鞄などは机の上に置いて詰所に出かけているが、それはロッカーが狭く、鞄置場も撤去されたので、食堂の机の上に置かざるを得なかったのであって、それによって、業務には何の支障もなかった。

2  本件処分の無効

(一) 前記1のとおり、原告に対する本件処分理由に該当する行為は、いずれも存在しないか、もしくは就業規則上懲戒免職という極刑をもって応じなければならない程悪質かつ重大な非違行為というべきものではない。つまり、本件処分理由とされたものは、その一部を除き、ほとんど多数の組合員とともに、西依助役らの勝手な私物点検、撤去、持ち去りに抗議したものであって、原告が他に比較してことさら重大な非違行為を行ったというものではない。むしろ、長崎駅管理者が日常的に職員の私物を勝手に持ち去ったり、或いは食事中の職員のところにわざとやって来て、その休息を妨げ、恣意の言動をしたことこそが批判されるべきであり、この点を看過した本件処分は、余りにも専権の誇りを免れない。

(二) 本件処分理由とされたものの多くには、原告を含む多数の職員が関与しており、原告を含む職員に対する処分状況は、別紙3「処分者一覧表」のとおりであるが、原告の行為は、他の職員の行為と比較してさ程の違法性も認められないにもかかわらず、他の職員が訓告や減給に留まっていることに比較して、原告に対する処分は著しく均衡を欠いている。

(三) 原告は、入職以来二五年間被告職員として勤務してきた者であるが、本件処分により、二五年間勤務した代償である退職金の支給を奪われ、また退職年金にも相当額の減額をもたらされ、その不利益は大きい。

(四) 被告長崎駅では、長崎管理部発足以来近年労使関係が険悪となり、不当労働行為・人権侵害が続発しているが、本件についても免職という極刑が選択された背景には、原告の組合活動に対する嫌悪及び原告を中心に団結していた長崎駅連合区分会の団結弱体化の意図があったというべきである。そのことは、本件訴訟中の平成元年三月二七日、長崎県地方労働委員会において、国労長崎県支部が申立てた採用差別不当労働行為救済申立事件について、救済命令が出されたことからも明らかである。

(五) なお被告は、当時の被告が置かれた厳しい状況から、本件免職処分の選択は正当かつ合理的であると主張する。しかし、被告の分割民営化の動きや財政事情が何故懲戒処分の量定にあたって考慮されなければならないのか、理解に苦しむものがある。

(六) 以上のとおり、被告は、本件処分を行うにあたり、使用者として懲戒権を行使するうえで当然留意すべき諸事情につき、いずれも慎重に考慮した形跡がなく、その結果、原告に対し懲戒免職という客観的相当性・合理性を欠いた著しく苛酷な処分を行ったものであって、本件処分は懲戒権の濫用であり無効である。

第三証拠(略)

理由

一  当事者について

被告は、日本国有鉄道法に基づき設立された公共企業体であったが、原告主張の経緯により、その名称が「日本国有鉄道」から「日本国有鉄道清算事業団」に変更されたこと、原告が昭和三六年四月一日被告に雇用されて長崎駅に配属され、本件処分が発令された昭和六一年九月一日当時同駅の構内指導係として勤務していた者であること、原告が国労組合員で、長崎駅連合区分会執行委員長の地位にあったことはいずれも当事者間に争いがない。また(証拠略)によると、原告は、国労門司地方本部長崎支部長崎駅連合区分会に所属し、同支部執行委員、書記長等を歴任した後、昭和五二年一二月から同連合区分会の執行委員長の地位にあったことが認められる。

二  本件処分の発令

被告は、九州総局長石井幸孝を被告総裁代理として、昭和六一年九月一日、原告に対し、国鉄法三一条に基づく懲戒処分として本件処分をなし、原告との労働契約関係を否認していること、本件処分の理由は、「昭和六一年四月二六日、同年五月七日、同年六月二日、同月三日、同年七月一日長崎駅構内において職員として著しく不都合な行為があった」というものであることは当事者間に争いがない。

三  そこで、まず本件処分がなされるまでの被告や国労の状況等について検討する。

(証拠略)並びに弁論の全趣旨によると、次の事実が認められ、これを覆すに足りる証拠はない。

1  被告は、巨額の累積債務を抱え、その経営が危機的状況に陥ったため、その経営の健全化が緊急の課題となり、昭和五五年一二月二七日、日本国有鉄道経営再建促進特別措置法が制定された。そして、被告は、昭和五六年五月一日、経営改善計画を策定し、同月二一日運輸大臣からその承認を受けた。その計画における経営改善の具体的方策としては、輸送の近代化、業務運営の能率化、収入の確保等とともに、経営管理の適性化が盛り込まれ、その細目として、組織の効率化・簡素化、職員管理(職場規律の確立等)、職場環境の整備、労使関係の改善等が掲げられた。右計画に基づき、被告は、経営改善の実施に向けてその取組を開始した。

ところが、同年一二月ないし翌五七年一月ころから被告の職場におけるいわゆるヤミ手当、突発休、ヤミ休暇、現場協議の乱れ等の職場の悪慣行が広くマスコミ等で取り上げられるようになった。そのため、同年三月四日運輸大臣から被告総裁に対し、問題となっている右悪慣行について実態調査を行うなど総点検を実施し、調査結果に基づき厳正な措置を講じることが必要であるとする旨の指示がなされた。そこで、被告総裁は、翌五日全国の各鉄道管理局長等に対し、「職場規律の総点検及び是正について」と題する通達を発し、職場の実態について総点検を実施し、悪慣行等の是正措置を講ずることを命じた。これを受けて全国四八三一箇所の現業機関で同月末まで総点検が実施されたところ、悪慣行による職場規律の乱れは、被告当局の予想以上に広範囲にわたり、かつ規模も大きいことが判明した。

また同年七月三〇日、第二次臨時行政調査会の第三次答申(基本答申)が政府に提出されたが、その中で、分割民営化が提言されるとともに、被告の緊急にとるべき措置として、職場規律の確立を図るため、職場におけるヤミ協定及び悪慣行を全面的に是正し、現場協議制度を本来の趣旨に則った制度に改めるとともに、違法行為に対しての厳正な処分、職務専念義務の徹底等人事管理の強化を図ることが必要であるとの指摘がなされた。これを受けて、政府は、同年九月二四日の閣議で行政改革の大綱を定め、同時に被告の再建について異例の政府声明を出し、併せて職場規律の確立(職場におけるヤミ協定及び悪慣行については、総点検等によりその実態を把握し、直ちに是正措置を講ずるとともに、現場協議制については、業務の正常かつ円滑な運営に支障が生じないよう改めることとし、所要の措置を講ずること)等の一〇項目の緊急対策を決定した。そして、昭和五八年五月一三日、いわゆる国鉄再建管理委員会設置法が成立し、同年六月一〇日、総理府に同委員会が設置された。同委員会は、同年八月二日、「日本国有鉄道の経営する事業の運営の改善のために緊急に講ずべき措置の基本的実施方針について」(いわゆる緊急提言)との意見を内閣総理大臣に提出したが、その中で、職場規律の確立については、「職場規律は、およそ組織体が円滑に運営されていくための基盤であり、そこに乱れがあるという状態では、国鉄の再建は到底おぼつかない」と指摘した。

2  ところで、被告においては、昭和四三年四月、公共企業体等労働委員会の勧告により、各労働組合との間で、「現場協議に関する協約」を締結し、現場における労使関係の円滑かつ平和的解決を図ることを目的とする現場協議制が設けられた。しかし、右のとおり昭和五七年三月に実施された職場実態の総点検の結果、現場協議制につき、開催回数が多いこと、一回当たりの時間が非常に長いこと、いわゆる前段整理と称して、現場協議を開始するまでにいたずらに引き延ばしが行われている箇所があること、管理者に対する中傷、誹謗等により、整然とした協議が阻害されることがあること、人事、懲戒権、経営改善計画等の現場長の権限外の事項が持ち出されることなどの運用の乱れが生じていることが明らかになった。その原因は、現場協議制に対する労使双方の考え方の相違にあったが、右のとおり臨時行政調査会の基本答申や政府の一〇項目の緊急対策決定等の中で、現場協議制につき、業務の正常かつ円滑な運営に支障が生じないように本来の趣旨に則った制度に改めるよう指摘がなされたこともあって、被告は、同年七月二六日、各労働組合に対し、右現場協議に関する協約についての改定案を提案し、同年一一月三〇日までに交渉がまとまらなければ右協約を破棄する旨通告した。そして、国労以外の労働組合との間では、被告提案の改定案につき妥結したものの、国労との間では妥結に至らず、同年一一月三〇日をもって右協約が破棄され、翌一二月一日以降は無協約となった。

3  右現場協議に関する協約が破棄された後、被告は、国労との間で十分な協議を経ることなく、職場規律の確立に向けて労務管理を強化をすべく、国労との間で形成されてきた慣行を一方的に破棄し、立席呼名点呼の強要、組合バッジやワッペンの着用禁止、職場施設内での組合活動の規制、組合掲示板やビラの撤去、私物の点検など、徹底的に職場実態の総点検を行ったうえ、業務命令とそれに違反する者に対する制裁をもって職場規律の乱れを是正しようとした。これに対し、被告当局の総点検や是正措置は、分割民営化に反対していた国労やその組合員にとって、従来享受してきた自由や権利(必ずしも法的保護に値せず、是正の必要なものもあった)に対する制約となり、被告当局との間で激しく対立することになった。そして、昭和五七年七月以降、それまで一〇年余りの間なかった免職処分が毎年多数発令されるようになった。

長崎駅においても、昭和五七年三月に実施された職場総点検の結果、特に早急な改善を要する全国三七箇所の最重点職場の一つとして指定を受けていたこともあって、同駅管理者によって徹底した総点検及び是正措置が実施されたため、これに反発する国労組合員との間で鋭く対立し、同組合員らは管理者の言動を逐一メモにとるいわゆる点検摘発メモ戦術等で対抗するなど、喧騒にわたることもしばしばあり、被告当局と国労ないしその組合員との間の協力・信頼関係は著しく損なわれるに至っていた。

4  しかも、国鉄改革に対する国鉄内の各労働組合の意見、対応は一様ではなかったが、政府、国鉄内部で分割民営化の方針が固まり、昭和六一年一月一三日には、動労、鉄労、全施労、全動労の各組合が分割民営化を認め、余剰人員対策についての積極的協力、組合バッチ・ワッペン等の着用をしないこと等を内容とする労使共同宣言を被告との間で調印し、いわゆる労使協調で国鉄改革のために分割民営化を推進することとなったが、国労は右労使共同宣言の調印を拒否し、分割民営化反対の立場を固持した。そのような事情で、昭和六一年に入ってからは、自ら分割民営化に賛成する他の労働組合組合員の場合に比し、国労組合員は被告当局から硬直的に職場規律の要求を受け、それに従わない国労組合員に対して業務命令発令及び懲戒処分がなされ、分割民営化を推進する被告当局とそれに反発する国労組合員との対立が一層激化していた。

そのような状況のもとで被告当局或いは長崎駅管理者は、分割民営化の過程において、国労の組合員、特に役員を多く余剰人員として特定したうえ、人材活用センターに配属し、被告の本来の事業に関係の薄い雑作業に従事させ、或いは国労組合員を含めた職員に対し、企業人教育を受講させて意識改革を行わせ、分割民営化に協力するインフォーマル組織を作らせ、また国労組合員に対し、新会社採用にあたって国労組合員では不利である旨述べて脱退させるなどの国労組合員差別工作を行った結果、昭和六一年夏以降国労から大量の脱退者が出るようになった。また新会社の実際の採用においても、国労組合員は他の組合員に比較して採用の割合が非常に低くなっているなど、新会社採用に当たって国労組合員であることが不利益に扱われた。

5  なお原告に対しては、昭和六一年七月二三日本件処分の通知がなされ、賞罰委員会における弁明弁護手続を経て本件処分がなされた。

四  そこで、本件処分の理由となった懲戒事由に該当する具体的事実の存否について判断する。

1  昭和六一年四月二六日の行為について

(一)  訴外瀬崎が点呼終了後駅長室にいる鉄屋首席助役のところに行かなかったこと、田口助役が訴外瀬崎に対し、「一一月一三日に車両破損をさせたことは事実でしょうが。」と言ったこと及び田口助役が「俺は知らん。とにかく駅長室に行きなさい。」と言ったことは当事者間に争いがない。

(二)  右の争いのない事実のほか、(証拠略)並びに原告本人尋問の結果(但し、後記措信しない部分を除く。)によると、次の事実が認められ、これに反する(証拠略)及び原告本人の供述部分は、右証拠に照らしにわかに措信することができない。

(1) 昭和六〇年一一月一三日午前九時一七分ころ、長崎本線長崎駅構内において、構内指導係による高速貨C第一三五〇列車の組成点検中、機関元から二両目の車両のブレーキ管アングルコックの取付部に亀裂が入って圧力空気が漏れているのが発見され、応急処置が行われたため、右列車が長崎駅を二八分遅れて発車したという事故が発生した。この事故は、その後の長崎管理部の調査で、構内指導係であった訴外瀬崎が突放車を連結注意箇所で流し連結したことが原因と判明した。そこで、右長崎管理部の事故担当者が調査段階において、同月一七日訴外瀬崎から始末書(<証拠略>)を徴し、それに翌一八日付の同駅長作成名義の「高速貨C一三五〇列車の遅延について(副申)」(<証拠略>)と題する書面を添付して九州総局長宛に送付した。その結果訴外瀬崎は、右事故につき、訓告処分を受けることになり、昭和六一年四月二六日が右処分発令の通知日となっていた。

(2) 長崎駅首席助役であった鉄屋は、同日朝、同駅庶務助役であった西依に対し、訴外瀬崎に対する訓告処分発令を通知するので同人を駅長室に呼ぶよう指示し、また西依助役は、同日午前八時一〇分ころ、同駅輸送総括助役であった田口に対し右と同様の指示をした。そこで、田口助役は、点呼終了後の午前八時三六分ころ、輸送本部を出た訴外瀬崎に対し、右事故につき処分発令の通知があるので駅長室の鉄屋首席助役のところに行くよう指示したが、訴外瀬崎はこれに従おうとせず、そのまま構内詰所の中に入ったので、田口助役も同詰所に入り、再度訴外瀬崎に対し駅長室に行くよう促したものの、訴外瀬崎は「何も悪かことはしとらん。」と椅子に腰かけたまま動く気配を見せなかった。さらに田口助役が駅長室に行くことを指示すると、訴外瀬崎は作業があるといってこれを拒否し、また田口助役が次の作業までには十分時間があるので駅長室に行くよう指示したがこれも拒否した。

そして、田口助役が訴外瀬崎に対し、「去年一一月一三日に車両破損で列車が遅れたことは事実でしょうが。」と言うと、同所にいた原告が突然「行賞規程ね、懲罰規程ね。」と横から口を挟んだ。すると、訴外瀬崎も「中味は何ね。総括は知らんとね。」というので、田口助役は「俺も知らん、とにかく駅長室へ行きなさい。」と通告したが訴外瀬崎は動こうとしなかった。やむなく田口助役は、午前八時五四分ころ、輸送本部に戻り、その状況を鉄屋首席助役に伝え、時間的な間合がとれないので、通告時間は別途打合せをすることにした。

(3) その後西依助役は、昭和六一年四月二六日同日午後二時五分ころ、田口助役に対し、訴外瀬崎に時間的余裕があれば処分発令通知をするので駅長室に同人を連れて来るように指示した。これを受けた田口助役は、午後二時一〇分ころ、構内詰所にいた訴外瀬崎に対し、駅長室に行くよう指示したが、同人がこれを拒否したので、田口助役は輸送本部に戻り、西依助役に対し訴外瀬崎が指示に従わない旨を連絡した。そこで、鉄屋首席助役と西依助役は相談のうえ、訴外瀬崎に対する処分発令通知を輸送本部で行うことに変更し、午後二時二〇分ころ、処分発令通知書をもって輸送本部に行き、田口助役に訴外瀬崎を呼びに行かせたが同人が輸送本部に来ることを拒否した。そのため、鉄屋、西依及び田口各助役は処分発令通知を構内詰所で行うことにし、午後二時二二分ころ、同詰所に入った。そこには手待時間中の訴外瀬崎及び原告のほか六、七名の職員が長椅子に座っていた。

そこで、西依助役が訴外瀬崎に対し、「瀬崎君、今から処分発令をする。」と言ったところ、同人は「何ばえらそうに言いよっとか。」と大声で怒鳴った。しかし、鉄屋首席助役はこれにかまわず、「瀬崎源勇、昭和六〇年一一月一三日長崎駅において、入換作業中規定どおりの取扱いをしなかったため列車を遅延させた。今後再びこのようなことのないよう訓告する。」という内容の訓告書を読み上げ始め、途中訴外瀬崎が「規定どおりちゃ何か。」と大声を発したものの最後まで右訓告書を読み上げ、西依助役がそれを訴外瀬崎に渡そうとしたところ、同人がその受取を拒否したので同人の座っていた長椅子の上に置いた。すると、原告ら数名の職員が立ち上がり、鉄屋首席助役らに対し、「何かこりゃ、規定どおりちゃ何か。」「俺達は規定どおりしよる。」「あたり前の作業をしよって処分されるて、でたらめじゃなかですか。」「こりゃ、取り消せ。」などと口々に大声で怒鳴り、鉄屋首席助役が「これは局長が発令している。取り消せない。」と言うと、原告は「そしたら、どげんすりゃよかとか、言うてみろ。」と大声で言った。そして、西依助役が原告らに対し、「あんた達には関係ない。これは瀬崎君に言うとると。」と言ったところ、原告らはさらに「関係なかこたなか。」「俺達も同じ仕事をしよる。」と言うなど、誰が何を言っているのか分からないような騒然たる雰囲気になった。それで西依助役は訴外瀬崎に対し、「通告は一四時二四分に終わりました。」と言って鉄屋首席助役や田口助役とともに構内詰所を出て輸送本部に戻った。

(4) その直後の昭和六一年四月二六日午後二時二五分ころ、原告を先頭に当日の勤務者八名が輸送本部に押しかけ、原告が右訓告書を村上助役の机の上に置いて鉄屋首席助役に対し、「規定どおりしとらんちゃ何か、言うてみろ。お前知っとるか。」と大声で言い、他の職員数名も原告と一緒になって同様の言葉を大声でくり返し言った。そこで、西依助役が原告らに対し、「抗議やな。よし抗議、業務妨害で確認した。一四時二五分。直ちにこの部屋から出なさい。」と言い、鉄屋首席助役も「業務妨害だ。この部屋から出なさい。」と言い、その後も両助役は十数回にわたって退去を命じたが、これに対し、原告は、「抗議といわれれば抗議じゃろ。」といって退去せず、「お前は同じことしか言いきらんとか。」「規定を言うてみろ、知らんじゃろうが、何も知らんくせに何ば言いよっとか。」「規定ばおしゅうか。運転取扱基準規定、九州総局運転取扱基準規定、作業内規たい。」などと大声で怒鳴り、また他の職員も「何ば言うとか。俺達も同じ仕事ばしよる。流し突放をしていいんじゃな。」「何ば言いよるか、仕事は何もしよらんじゃろが。」などと口々に大声で怒鳴った。さらに西依助役が訴外瀬崎に対し、「あんたも始末書をちゃんと書いとるやろうが。今さら何ばいいよるね。」と言ったところ、同人は「やかましい。あれは無理やり書かされたったい。」と大声で言うなど、輸送本部の室内が騒然となって各人の発言内容がはっきりと分からない状態になった。しかし、原告は、午後二時三三分ころ、他の職員に「よし行こう。」と言い、原告ら職員全員が輸送本部を引き上げて行った。

(5) 当日輸送本部に抗議に赴いた訴外瀬崎、訴外中山博、訴外山崎正及び訴外桑原元己の四名も訓告処分を受けた。

(三)  原告は、本件事故の問題が日常作業に関連する事項で、訴外瀬崎ひとりの問題ではないので、原告らの質問や説明要求を業務妨害とか抗議として受け止めるのではなく、業務の一環として積極的に話合いが持たれるべき性質のものであったと主張する。

なるほど、本件事故の問題はひとり訴外瀬崎の問題ではなく、労使間で検討協議すべきものであって、前記のとおり当時の被告における労使関係は、遺憾ながら現場協議制が廃止されて以来信頼関係をもって協議できる状況にはなかったものの、列車運行上の安全に関する事柄であるから、管理者としては、職員の意見を聞いたうえ事故の発生を防止するための作業手順を十分説明してその徹底を図る必要があったということができ、このような協議の場がなかったことが原告らの言動の遠因になっていたものと考えられる。しかし、昭和六一年四月二六日の原告や訴外瀬崎その他の職員の言動は、前記認定のとおり到底本件事故や処分についての質問や説明要求と目されるものでなく、節度を超えた抗議というべきであり、長崎駅管理者がこれらの言動を取り合わなかったからといって不当な行為ということはできない。

もっとも、右のように原告らの言動が、本件事故につき、職員に説明要求の機会が与えられず、管理者が原告らの説明要求を一切取り合わなかったことに対する不満による抗議であったことを考慮すると、原告らの言動をもって、被告が主張するように職場の混乱のみを意図した抗議と認めることにも疑問があるというべきである。

2  同年五月七日の行為について

(一)  (証拠略)並びに原告本人尋問の結果(但し、後記措信しない部分は除く。)によると、次の事実が認められ、これに反する証人重野征太の証言部分及び原告本人の供述部分は、後記(二)、(三)の理由及び右の証拠に照らし、にわかに措信し難い。

(1) 昭和六一年五月一日長崎駅構内において、いわゆる裏ダイヤが原因で運転事故が発生したため、翌二日長崎管理局の実態調査が行われたところ、第二運転室の構内詰所等から組合旗、プラカード、情報紙、ペンキやはけ等の業務に関係ないものが出てきたので、再度職場総点検が行われることになり、また同月が環境整備月間と定められた。そして、同月七日も、第二運転室において、同駅管理者の指揮により環境整備の一環として、当日勤務者の手待時間を利用して、構内詰所のソファー撤去、二階寝室の余剰ベットの解体、撤去及びロッカーの寝室への移設等の作業が実施された。

(2) 同日午後一〇時一一分ころ、鉄屋首席助役が輸送本部入口に立って同室内にいた管理者と話をしていたところ、当日休みであった原告が構内詰所に入ろうとしていたので、鉄屋首席助役は「坂井が来た。」と言って原告のところに行き、「坂井君、勤務者以外の者が勝手に詰所に入ったらいかん、出なさい。」と注意した。原告は分会の責任者として、管理者が環境整備の名のもとに現場職員の意見も聞かずに一方的に行うロッカーの移設等が気にかかり、その状況を見分に来たのであったが、「だまっとけ、何ば言いよっとか。」と言いながら第二運転室二階に上がっていったので、鉄屋首席助役は山口一敏助役とともに原告の後を追い、二階の寝室等を見た後階下に降りて行こうとする原告に対し、再度「勤務者以外の者は勝手に詰所内に入ったらいかん。」と注意したところ、原告が「何ば言いよるか、だまっとれ。」と言い返した。そこで鉄屋首席助役が「だまっとれちゃ何ね。」と注意すると、構内詰所前の広場に出た原告は、午後一〇時一四分ころ、鉄屋首席助役に対し、「何か。こっちへ来い。来んか。」と大声で怒鳴りながら詰め寄った。これに対し鉄屋首席助役が「こっちへ来いちゃなんね。」とその言動を注意したところ、原告は「こっちへ来い。来い。」と大声でわめきながら右手で鉄屋首席助役の左胸の襟を掴み、「来い。」と言いながら同人を分会事務所の方向へ引っ張った。その間鉄屋首席助役は引っ張られながら原告に対し、同人の手を指差して「何ばするとね。」と言って制止を求めたが、原告はこれを聞かず、約五、六メートルほど引っ張ったところで手を離した。なお、その周囲にいた西依助役らの管理者は原告の右行為を制止しなかった。

そして、原告は、分会事務所方向へ歩き出したがすぐに後をふり返り、鉄屋首席助役に対し「こっちへ来い。来んか。」と言いながら右手で下から上にしゃくり上げるように手招きをしたが、同人がその場から動かなかったので、原告は、午後一〇時一六分ころ、そのまま分会事務所方向へ歩いて行った。

(二)  原告は鉄屋首席助役ら五、六人の管理者に取り囲まれていたので、鉄屋首席助役の左胸の襟を掴んで引っ張ることはできなかったと主張し、(証拠略)にはそれに副う記載があり、また証人重野征太も原告本人も右行為を否定する供述をしているが、前記認定のとおり鉄屋首席助役ら五、六名の管理者が原告を追ったり、取り囲んだりしたことは認められず、前記(一)で掲記した各証拠に照らしてにわかに措信することができない。

もっとも、原告の鉄屋首席助役の襟を掴んで引っ張った行為は、鉄屋首席助役が単に原告の手を指差して制止を求めただけで、強く抵抗をしていないことや周囲にいた管理者が原告を制止させていないことに照らし、その態様は、強く引っ張ったとか、引きずったというものではなく、鉄屋首席助役の周囲には数人の管理者がいたことを併せ考えると、被告が主張するように、鉄屋首席助役が原告に対し恐怖を抱くような状況にあったとは認められず、証人鉄屋幸男の「身の危険を感じた」旨の証言は、誇張された主観的表現というべきである。

(三)  なお原告は、鉄屋首席助役ら五、六名の管理者が原告の腕を掴んだり、引っ張ったり、背中を押したりなどして構内詰所から原告を退室させようとしたと主張するが、右事実を認めるに足りる証拠はない。

3  同年六月二日の行為について

(一)  西依助役、高木助役及び兼田助役が第二転てつ詰所に赴いたことは当事者間に争いがない。

(二)  右の争いのない事実のほか、(証拠略)並びに原告本人の供述部分は、右に掲記した証拠に照らし、にわかに措信することができない。

(1) 長崎駅においては、前記のとおり同年五月一日の運転事故を契機として、徹底した職場総点検が実施され、特に労働組合に関係する物件を含め一切の私物は、管理者が片付けるように注意してもそれに従わない場合は、それを持ち去るなど、徹底的に職場から排除されるようになったため、国労組合員はこの点検行為が国労ないしその組合員に対する弾圧と受け止め、激しく対立する状況にあった。

そして、同年六月二日も午後一時から職場総点検を行うため、同駅長以下の管理者が三班に分かれ、構内巡回を実施した。西依助役は、高木博昭貨物担当助役と兼田周祐当務助役とで班を組み、同日午後二時ころ、駅長室を出て第一運転室を巡回した後、午後二時二〇分ころ、第二転てつ詰所に行って西依助役、高木助役、兼田助役の順で中に入った。もっとも、高木及び兼田両助役は同詰所入口付近にいた。

(2) 右詰所内には、原告のほか構内指導係の訴外川村と運転係の訴外井上の三人が椅子に座っていたところ、西依助役は、同所左側の棚の上に週刊誌、新聞紙、青いシャツなどが雑然と置いてあったので、右三名に対し「棚の上の週刊誌、新聞は片付けなさい。」と指示をしたが同人らはこれに応じなかった。そこで、西依助役が週刊誌や新聞紙等を片付けようとして棚の上を見ると、組合機関紙「青年の声」があったのでこれを撤去しようと手にしたところ、原告が「これは俺のものだ、返せ。人の物を勝手に取るな。」と言ったので、西依助役は「詰所にこんな物を置いたらいかん。」と言って右機関紙を原告に返した。すると、原告は「人の物を勝手に取るな。」と言って椅子に座ったまま再び右機関紙を棚の上に放り投げたので、西依助役は「何をするとな。ここに置いたらいかんと言ったではないか。」と言って再度右手で棚の上の右機関紙を取って撤去しようとした。これを見ていた原告は、午後二時二二分ころ、いきなり立ち上がり大声で「何ばすっとか。」と言って右手で西依助役の右機関紙を持っていた右手首を掴んだ。そこで、西依助役が「何をするとね。離さんね。痛いじゃないか。」と言って手を振り解こうとしたが、原告は、西依助役の右手首を掴んだまま、「これは俺のものだ。名前を書いとろうが。」と言った。これに対し、西依助役は「ここに置いていることがいかんと言っているのだ。」と言うと、原告が「二四時間ここの勤務だから、ここしか置かれんだろうが。」と言ったので、西依助役は「詰所に帰るときがあるだろうが。ここに置いてはいかん。」と言いながら手を振り解こうとしたが原告は離さず、そこにいた訴外川村が「人の物を取るのは泥棒だ、なに言いよるか。」と口を挟んだ。そして、原告は、午後二時二四分ころ、掴んでいた手を離した。その間高木及び兼田両助役は、同詰所入口付近にいてその状況を黙視していた。西依助役は「ああ痛かった。とにかくここに置いたらいかん。また置くなら撤去する。」と言って右手に持っていた右機関紙を原告に返したところ、原告は「何を言いよるか。」と言ってまたそれを棚の上に置こうとしたが思い直し、ズボンの右後のポケットに押し込んだ。

西依助役は、原告に掴まれていた右手首のところを左手で指差し、「こんなに赤くなるほど掴まれた。ああ痛かった。これは大変なことをしたな。」と言ったが原告は座ったままこれを無視した。すると、訴外川村が西依助役に対し「お前が来ると気分が悪か。ごちゃごちゃばかり言うて。人の物をすぐ取る。今からお前のことを泥棒と呼ぶぞ。」などと大声で怒鳴った。しかし、西依助役はそれにはかまわず棚の上に青いシャツがあったので、「これは誰の物か。」と原告ら三名に聞いたが、訴外川村が「知らん。」と言ったので、「輸送本部に預かっておく。持主がいたらそう言ってくれ。」と言って預かり、また「新聞などは業務に必要ない、処分する。」と言って新聞紙や週刊誌などを兼田助役に渡した。そして、西依助役は、午後二時二六分ころ、高木及び兼田両助役とともに右詰所を出て第二運転室に向かった。背後では訴外川村が「泥棒。泥棒。泥棒がいるぞ。」と大声で怒鳴っていた。

なお右青いシャツは、訴外重野の物と分かり、同日午後三時二〇分ころ、同人に返された。

(3) なお訴外川村に対しては、同日及び翌三日の各言動につき、減給一〇分の一、一か月の処分が通告された。

(三)  原告は、西依助役らの常軌を逸した行動に対し、常識の範囲で制止しようとして同人の手を掴んだのであって、何ら暴力行為として非難される余地はない旨主張する。

前記認定のとおり長崎駅管理者が実施していた職場総点検は、職場から労働組合に関係する物件を含め一切の私物を徹底的に排除しようとしたもので、国労組合員にとっていやがらせ的なものとして受け取られていたにしても、同日西依助役が行った点検行為は、業務に関係ないものとして組合機関紙を片付けるように注意し、これに従わなかったため同機関紙を撤去しようとしたものであって、違法なものとはいえず、ましてや常軌を逸した行為ともいえないので、西依助役の手を掴んだ行為が正当化されるものではない。

(四)  原告は、西依助役がその右手を二分間も掴まれたと言いながら同人は何らの抵抗もしていないうえ、側にいた高木及び兼田両助役も何らの制止行為もしていないのであって、これは原告が西依助役の右手を二分間も強く掴んでいない証左であると主張し、これに対し、被告は、西依助役が数回原告の手を振り解こうとしたができず、また第二転てつ詰所が約一・五坪位の広さで、中には職員三名のほか西依助役がいたうえ、入口付近には椅子に座った訴外川村が足を他の椅子に投げ出し同詰所の入口を塞ぐ状態にあったので、高木及び兼田両助役は原告と西依助役を離すため側に近寄れなかったと反論する。

前記認定のとおり西依助役は、原告の掴んだ手を数回振り解こうとしてはいるものの、その他左手を使って原告の手を解こうとするなどの抵抗をしたことはなく、時計でその時刻を確認さえしている。また高木及び兼田両助役も、第二転てつ詰所入口付近にいて原告と西依助役とのやり取りを黙視していただけであって、たとえ同詰所が狭く、容易に原告らに近付けなかったとしても、仮に西依助役の身体に危害が及ぶ状況であれば、近付くことのできる時間的余裕は十分あったということができる。このような事情に照らすと、原告が西依助役の手を掴んでいたとしても、その程度は、私物の撤去を阻止するためのもので西依助役の身体に危害を及ぼす程強いものではなかったというべきである。

そして、(証拠略)には、「掴まれた手首のところは、坂井の手の形がはっきり残るように赤と白のまだら模様になっていた」旨の記載があるが、原告が掴んだ程度からしてその状況には疑問があるうえ、それを裏付ける証拠はなく、また西依助役は、「こんなに赤くなるほど掴まれた。ああ痛かった。これは大変なことをしたな。」と言っているが、その原告が掴んだ程度に照らし、かなり誇張された表現であるというべきである。

4  同年六月三日の行為について

(一)  (証拠略)によると、次の事実が認められ、これに反する(証拠略)並びに原告本人尋問の結果は、後記(二)の理由及び右掲記の証拠に照らし、にわかに措信することができない。

鉄屋首席助役と西依助役は、同月三日午前九時からの構内詰所における点呼に立会した後、職場巡視の一環として、午前九時十二分右詰所横の食堂に入った。その食堂内には原告のほか六名の職員が机をはさんで椅子に座っており、その机の上には鞄やバック、シャツ類が雑然と置いてあった。鉄屋首席助役は、机の上の紙袋に青いシャツが載せてあったので、「これは誰んとね。」と言いながら手に取ったところ、原告は鉄屋首席助役に対し、「のぼせた真似すんな。人の物を勝手にさわるな。泥棒みたいに。」と大声で怒鳴った。そこで、鉄屋首席助役は、「片付けなさいと言っているのだ。泥棒とは何ね。」と原告に言い、右青いシャツの下にあった前日から片付けるように注意していた紙袋を見て、今度は訴外重野に対し、「重野君、何かね、これは昨日から片付けなさいと注意しているだろ。」と言ったところ、同人は、「昨日からんとじゃなかと。今日持って来たと。」と答えた。これに対し、鉄屋首席助役は、「昨日から置いとろうが。中味は一緒じゃろが。」と言って紙袋を手元に引き寄せてこれをのぞき込んだところ、原告は、突然立ち上がりながら「のぼせたことをすんな。何ばすっとか。人のものを勝手にして。」と大声で言ったうえ、「何か、のぼすんな。」と叫びながら席を立ち、机の左前方にいた鉄屋首席助役に詰め寄った。そして、原告の右前方にいた訴外川村が「やれ、やれ。」とあおりたてたが、原告の後にいた構内指導係の訴外田村が原告の肩をつかんで制止し、原告を元の席につれ戻した。しかし、原告は、元の位置に戻りながらさらに「あんまりのぼすんなよ。馬鹿たれが。わいはいい加減にしとけよ。」などと言ったので、西依助役が「そんなものの言い方はなかろうが。ただ片付けなさいといっている。」と注意した。すると、原告は「何を言うか。泥棒みたいな真似をしよって、この馬鹿が。」と大声で鉄屋首席助役や西依助役に向かって言った。

その後午前九時二二分ころになって、原告は次の作業のため食堂を出て行き、他の職員も順次食堂を出ていったので、鉄屋首席助役及び西依助役も食堂を出て輸送本部に入った。

(二)  原告は、同日の件については、紙袋が前日からのものかどうかを巡って専ら鉄屋首席助役と訴外重野との間でやりとりが行われたのであって、原告はそれを傍観していたにすぎず、暴言を吐いたり、鉄屋首席助役に詰め寄ったりしたことはない旨主張する。

原告の(証拠略)の昭和六一年八月一〇日付陳述書には、同日は徹夜勤務明けで終業は午前九時となっていたが、列車が遅れたため超勤をして午前九時三五分ころ仕事が終わり、直ちに私服に着替えて帰ったので、管理者に暴言を吐いた記憶はない旨の記載があるところ、原告の本人尋問では、食堂にはいたがすぐに作業に入ったので、そのような暴言を吐いた記憶はない旨供述する。また重野征太の(証拠略)の昭和六一年八月一〇日付陳述書には、原告の記載はなく、専ら訴外重野と鉄屋首席助役とのやりとりが記載されているところ、同人の(証拠略)の同年九月二五日付陳述書では、原告は食堂にいたが、少し意見をしただけで、暴力を振るったことはない旨の記載に変わり、証人としても、重野は、原告も食堂にいたがほとんど発言していない旨の証言している。さらに川村清の(証拠略)の同年八月一〇日付陳述書には、原告が当局に対し暴言を吐いたことは一切ない旨の記載があるが、原告が食堂にいたか否かの記載はなく、また田村不二郎の(証拠略)の同年九月二六日付陳述書には、原告は食堂にいたが、鉄屋首席助役とのやりとりはほとんど訴外重野との間で行われ、原告は被告が主張するような言動はしていない旨の記載がある。

右のとおり原告が提出した各陳述書のうち、同年八月一〇日付の各陳述書には、原告が当時食堂にいたという記載はなかったところ、その後の同年九月に作成された各陳述書及び証人重野の証言や原告本人の供述では、原告は食堂にいたが、鉄屋首席助役とのやりとりは専ら訴外重野との間で行われ、原告は被告の主張するような言動は一切しなかった趣旨に一致して変遷しているうえ、原告が食堂にいたならば、連合区分会の執行委員長として、当時管理者の言動に対し、国労組合員の中心となって抗議をしていたことに照らし、原告が管理者に対し発言しなかったとは通常考えられないので、右各証拠は前記(一)に掲記した証拠に照らし、にわかに措信することができないというべきである。

(三)  前記のとおり同年五月一日の運転事故以降、長崎駅管理者によって徹底した職場総点検が実施されるようになり、特に労働組合に関係する物件は徹底的に職場から排除されるようになったため、国労及びその組合員がこれに反発するといった状況にあった。このように同駅管理者は、食堂内においても業務に関係のない私物は労働組合に関係する物件を含め一切置かせないといった強硬な姿勢で臨んでいたものであるが、当該食堂は手待時間で職員が待機することもあるが、本来職員が食事や休憩をする場所であって、自由に過ごすことが許されている場所ということができるから、従来自由に私物が置かれていた経緯に照らしても、列車の安全運行等業務に支障とならない範囲であれば、労働組合に関係する物件を含め私物を置くことも許されて然るべきものと考えられる。それ故、管理者が右食堂から一切の私物を業務に関係しない物として排除しようとした点検行為は、国労及びその組合員を徒に刺激して無用の混乱を引き起こす結果になっていた。そして、原告の同年六月三日の言動も、鉄屋首席助役が職場総点検の一環として、その食堂内にあった訴外重野のシャツや紙袋に触り、或いはその中身を見ようとしたことに誘発されたものであって、その言動は、鉄屋首席助役に罵声を浴びせるものであって、右のように適切さを欠く点検行為に対する抗議としても、許容の限度を超えているということができるが、右の事情は考慮されるべきである。

5  同年七月一日の行為について

(一)  (証拠略)並びに原告本人尋問の結果(但し、後記措信しない部分は除く。)によると、次の事実が認められ、これに反する(証拠略)及び原告本人の供述部分は、後記(二)の理由及び右掲記の証拠に照らし、にわかに措信することができない。

(1) 同月一日は職場総点検の日であったところ、西依及び高木両助役は、同日午後九州総局からの視察があるので、その前に点検を実施するため職場巡視として、午後零時三五分ころ、第二転てつ詰所に入った。同詰所には誰もいなかったが、入口左上の棚には封筒二枚と原稿用紙一冊があったので、西依助役は業務上必要ないものと判断してこれを取り上げ、午後零時四〇分ころ、右詰所を出て第二運転室に向かった。

(2) 西依及び高木両助役は、同日午後零時四四分ころ、第二運転室食堂に入ったところ、同食堂内には食事をしていた原告のほか、構内指導係の訴外敷根、訴外田村及び訴外田中の四名がいた。

そこで、西依助役が第二転てつ詰所から持参してきた右封筒及び原稿用紙を訴外敷根の前に出して「敷根君、この書類は誰のものか。客転詰所にあったが。」と聞くと、同人は「返さんね。」と言ったので、さらに西依助役が「あんたの物か。」と確認したところ、訴外敷根が「俺の物たい。はよ返さんね。人の物を勝手に取って。」と言いながらそれらの返還を要求した。西依助役は、「こんな物を詰所に置いたらいかんと何回も言っとるだろうが。今後置いたらいかん。」と言って右封筒及び原稿用紙を訴外敷根に返したところ、同人が「人のものを勝手に取って、油断も隙もない。」と言ったので、西依助役は「油断も隙もないとはこっちの言葉だ。業務に関係のない物をすぐ置いて。」と言った。すると、食事をしていた原告が「うるさいなあ。俺は休憩時間だ。」と横から口を出し、また訴外田村及び訴外田中も「本当にうるさい。飯も食わせんのか。」などと言った。

しかし、西依助役は、原告らの言うことに耳を貸さず、午後零時四六分ころ、食堂横にある休憩室入口付近には選挙関係の書類等が雑然と散らばっており、また食堂の机の上には「国労」「団結」「分割民営化反対」などと書かれた弁当箱や飲み残しのジュース類が置かれていたので、食堂内にいた原告らに対し、「何ねこの状態は。片付けなさい。」と言うと、原告は「うるさかなあ。飯も食われんじゃっか。」と大声で怒鳴った。それでも西依助役は執拗に机の上の鞄の中から組合書類がはみ出していたのを見て、「これは誰の鞄か。こんなものをここに置いてはいかん。」と言ったところ、原告が「人のものを勝手にさわるな。泥棒みたいに。」と大声で言い、これに対し、西依助役は「とにかく、こんな物を置いたらいかん。片付けなさい。」と原告らにくり返し言った。すると、原告は「何ば言いよっとか。」と大声で怒鳴っていきなり立ち上がり、皿に盛ってあった蟹の足の食べ殻の一つ(長さ五センチメートル位のもの)を取って、机を挾んで右前方約二メートルのところにいた西依助役に向かって投げたが同人には当たらなかった。

これに対し、西依助役が「何をするんか。びっくりするじゃないか。」というと、原告は「あんまりのぼすんな。人の飯の時間を邪魔しとって。」と大声で言った。そこへ田口助役が来たので、西依助役は「総括さん、俺は恐ろしかったばい。蟹が飛んで来たもんね。」と言い、さらに原告らに対し、「とにかく片付けなさい。」と言うと、午後零時四八分ころ、原告は「何か。」と大声を発し、血相を変えていきなり立ち上がり、同人の右手方向に机を伝って小走りで西依助役に向かって行き、西依助役の左側にいた田口助役を右腕で押し除け、右手で西依助役の胸付近を押した。そのため、西依助役は、右側にあった長椅子に座っていた訴外田村にもたれかかるように倒れた。そこで、田口助役が西依助役を抱き起こすと、同人は、立ち上がり、「あんた何ばすっとね。ああ、恐ろしかった。ひどいことをするな。」と言った。これを見ていた訴外敷根が慌てて原告のところに行って制止し、肩を抱くようにして元の席に連れ戻したが、原告は西依助役に対し、「休憩時間に何でくるとか。いい加減にしとけよ。飯も食わさんで。」と大声で怒鳴り、他の職員もこれに呼応して大声を発し、室内が騒然となった。

その後午後零時五〇分ころ、食堂内が静かになり、西依助役がもと棚のあった場所に新聞紙でくるんだネギの入ったビニール袋を見付け、「これは誰のものね。」と原告らに聞いたが誰も返事をしなかったので、「これは輸送本部に預かる。持主がいたらそう伝えてくれ。」と言ったところ、原告以外の職員が「泥棒が。何ばすっとか。いい加減にせんか。」「人の休憩時間を邪魔しおって。人の品物を勝手に取ったりして。」などと大声で西依助役に向かって言った。そして、原告も「いい加減にしとけよ。飯もくわせんで。何で休憩時間に来るか。」などと大声で叫び、さらに「なんばいいよっとか。そのことは子供でも、カカアでも言うてやる。」と関係ないことを言った後、「あんまり権力を嵩にかけるなよ。」と大声で言いながら立ち上がり、再び西依助役に詰め寄ろうとしたが、訴外敷根が原告の前に立ち塞がって制止した。

(3) 西依助役は、午後一時三分ころ、田口及び高木両助役とともにそのネギの入った袋を持って外に出たが、原告は食堂内から「泥棒。西依助役の泥棒。」などと大声で叫んでいた。

西依助役は、輸送本部に行き、村岡助役に食堂内での右出来事の子細を話して右袋を渡した。そして、西依助役は、九州総局からの視察があることを思い出し、第二運転室の食堂内にあった「国労」「団結」「分割民営化反対」などと書かれた私物の弁当箱などを整理する必要があると考え、午後一時二五分ころ、再び田口助役らとともに右食堂に行き、空の弁当箱やジュース類などを、持参してきた大きなナイロン袋の中に入れ、食堂の隅に置いた。

(二)  原告は、蟹の食べ殻を投げたことにつき、ごみ箱の方に投げたものであって、西依助役に向けて投げたものではないと主張し、(証拠略)の各陳述書には、原告が蟹をごみ箱に投げた旨の記載があり、また証人敷根春美及び原告本人も、蟹をごみ箱に投げた旨の供述をしている。

しかし、原告がその本人尋問で述べているとおり、原告は、西依助役が食事をしている原告の前で執拗に点検行為を行ったことに対し立腹していたうえ、西依助役に対する抗議の意思が含まれていたこと、また蟹の食べ殻を盛っていた皿からわざわざそのひとつを取り出してごみ箱に投げ入れることは不自然であること、反面、当てようと思えば当たる距離であったのに当たらなかったことなどに照らすと、原告は、蟹の殻を西依助役に当てようとまでは思っていなかったにしても、西依助役に向かって投げたというべきであるから、右各証拠のうち、原告の主張事実に符号する部分はいずれも措信することができない。

もっとも、原告の投げた蟹は長さが五センチメートル位の食べ殻であって、身体に当たったとしても危害の生ずるおそれはなかったと考えられ、西依助役が田口助役に言った「俺は恐ろしかったばい。蟹が飛んできたもんね。」との言動は、かなり誇張された表現で、原告を更に刺激する結果となったというべきであり、原告の言動に対する管理者の表現にも誇張がみられる。

(三)  原告は、同日の西依助役の行為が昭和六一年五月以来繰り返されていた嫌がらせ的要素をもつ執拗な私物あさり以外の何ものでもなく、また同人の行為が労働基準法によって保障されている休憩時間自由利用の原則に反する管理者としてあるまじき非常識な行為であると主張する。

西依助役が当日行った点検行為は、職場規律を維持するため職場総点検の一環として行われたものであるが、前記のとおり管理者は、食堂内においても一切の私物を排除するといった強硬な態度で臨んだため、国労及びその組合員を徒に刺激して無用の混乱を引き起こす結果となっており、その食堂での点検行為には適切さを欠くところがあったといえる。のみならず、職員が食事をとり或いは休息をしている際に、点検行為を行ったうえ整理整頓を指示することは、休憩時間自由利用の原則に直ちに反するものではないとしても、その趣旨に照らして妥当な行為とは言い難く、管理者と国労の組合員との間で激しく対立していた当時の状況下では職員に対する嫌がらせ的ないしは挑発的な要素を客観的に有する行為であったというべきである。従って、そのような西依助役の行為に対し、有形力の行使は到底許されないとしても、原告が西依助役に対してなした有形力の行使については、その動機において斟酌すべきものがあるということができる。

五  本件処分の抗力について

1  (証拠略)によると、被告の就業規則一〇一条三号は「上司の命令に服従しない場合」を、同条一五号は「職務上の規律をみだす行為のあった場合」を、同条一七号は「その他著しく不都合な行為のあった場合」を懲戒事由として定めている。

そこで、前記四で認定した原告の各行為について懲戒事由該当性を検討するに、原告の昭和六一年四月二六日の構内詰所及び輸送本部での言動、同年五月七日の鉄屋首席助役の襟を掴んで引っ張った行為、同年六月二日の西依助役の右手首を掴んだ行為及びその言動、同月三日の鉄屋首席助役に対して罵声を浴びせた言動、同年七月一日の西依助役に対し蟹の食べ殻を投げ、さらにその胸を押して倒した行為は、右就業規則一〇一条三号の「上司の命令に服従しない場合」、同条一五号の「職務上の規律をみだす行為のあった場合」及び同条一七号の「その他著しく不都合な行為のあった場合」の各懲戒事由に該当するというべきである。

2  次に、本件処分の有効性について判断する。

(一)  国鉄法三一条一項及び被告の就業規則一〇二条一項(<証拠略>)によると、懲戒処分として免職、停職、減給及び戒告の四種類が規定されているが、懲戒事由に該当する所為をなした職員に対し、右四種の処分のうち、具体的にどの処分を選択すべきかについての基準を定めた規定はない。ところで、懲戒権者は、どの処分を選択するかを決定するに当たっては、懲戒事由に該当すると認められる行為の外形的事実のほか、その行為の原因や動機、状況、結果だけでなく、当該職員のその前後における態度、懲戒処分歴、社会的環境、選択する処分が他の職員及び社会に与える影響等諸般の事情をも斟酌することができ、これらの諸事情を総合考慮したうえで、被告の企業秩序の維持確保という見地から考えて相当と判断した処分を選択すべきである。以上のようにどの処分を選択すべきかの判断については、懲戒権者である被告総裁の裁量に委ねられているものと解するのが相当である。もとより、その裁量は、恣意にわたることを得ず、当該行為との対比において甚だしく均衡を失する等社会通念に照らして合理性を欠くものであってはならない。仮にその選択が右の限度を超えて合理性を欠き、裁量権を濫用したと認められる場合にはその処分は違法無効ということになる。

そして、懲戒処分のうち免職処分は、被告の職員たる地位を失わしめるという他の処分とは異なった重大な結果を招来するものであるから、免職処分の選択に当たっては、他の処分の選択に比較して特に慎重な配慮を要し、このことを勘案したうえで、裁量の範囲を超えているか否かを検討してその効力を判断すべきである。

(二)  そこで、本件処分が社会通念上合理性を欠き懲戒権者の裁量の範囲を超えた処分であるか否かについて検討する。

昭和六一年四月二六日の構内詰所及び輸送本部における原告の言動は、訴外瀬崎に対する訓告処分発令通知に対し、節度を超えた暴言による抗議であり、また同年五月七日の鉄屋首席助役の襟を掴んで引っ張った暴行は、分会執行委員長としての立場上、管理者側が一方的に環境整備の名のもとに行うロッカー等の移設が気になりその状況を見分した際のこととはいえ、暴行を正当化すべき理由は全くない。しかし、職場総点検と称して長崎駅助役ら管理者が行った私物の点検、整理及び排除に関し、原告が同年六月二日、西依助役の指示に反発し、組合機関紙を撤去しようとする同人の手首を掴んでこれを阻止した行為、同月三日、私物の点検につき鉄屋首席助役に詰め寄って行き罵声を加えた言動、同年七月一日、食事中の原告の面前で私物の点検整理を迫る西依助役に対して不満を押さえきれずに蟹の食べ殻を投げ、その胸を押して暴行を加えた行為は、当時の国労組合員にとっては、いずれもいやがらせと受取られるような執拗な私物の点検行為に誘発されたと評しうる一面があることも否めない。すなわち、原告ら国労の組合員らが、国労と被告当局との間において永年にわたって形成された権利、自由として主張するものには、マスコミ等でも取り上げられた、いわゆるヤミ手当、突発休、ヤミ休暇、職場規律の乱れなど、到底、労使慣行として法的な保護に値しないものもあり、被告当局が業務の正常かつ円滑な運営を図るべく、職場規律の確立に向けて労務管理を強化するに当たっては、原告ら国労の組合員らも、過去、管理者の黙認があった慣行にしても、法的に保護されない職場の悪慣行を固執することなく、是正すべきものは是正の要求に応ずべき筋合のものであったといえる。従って、職場規律の乱れを正し、職場環境を整備すべく職場の総点検を行う長崎駅管理者に対し、原告のとった右言動は、鉄屋首席助役、西依助役らの管理職員たる地位を無視し職場秩序を否定する節度を超えた言動であり、これを正当化することはできないものの、他面永年にわたってかかる職場の悪慣行が形成され職場規律の乱れをもたらしたのには、単に労働者だけでなく、国鉄現場における管理者の労務管理の不適切、永年の悪慣行の黙認などに由来するものであったと推認できる。それ故、被告長崎駅当局が、被告当局からの指示で職場規律の乱れの是正を計るべく、職場の総点検を行うに当たっては、長崎駅管理者も過去永年にわたって黙認された慣行を徹底的に是正しようというのであれば、それだけに条理を尽くし納得できる方法をとるべきであり、過度に私物の点検を行って組合員の反抗心を誘発しないように心掛けるべきである。しかるに、国鉄の分割民営化に反対している原告ら国労組合員に対して長崎駅管理者のとった前記職場総点検は、労働組合の機関紙等の労働組合に関する物件を含め、およそ業務に関係のない一切の私物を職場から排除しようという徹底したもので、かつ執拗なものであったばかりでなく、食堂で原告が食事中に行われた私物の点検においては、適切さを欠き、原告ら国労組合員を挑発したものとの評価もなりたちうるような態様のものというべきである。従って、原告が、前記六月二日及び七月一日に、西依助役に対してなした暴行(暴行としては軽度のものである)、六月三日鉄屋首席助役に対してなした罵声は、前記掲記の就業規則の各懲戒事由に該当するとはいえ、これに対して加えられるべき懲戒については、国鉄分割民営化反対の国労組合員と長崎駅管理者が激しく対立しているなかで、しかも、長崎駅管理者が国労組合員を多く余剰人員として特定し人材活用センターに配属するなど、国労組合員らが国労組合員差別、国労潰しと批判した直前のころに発生した原告の非違行為であってみれば、前記管理者の不適切で執拗に過ぎた私物点検行為に誘発された点をも斟酌すべきである。そして、原告の前記四月二六日の管理者に対する節度を超えた抗議にしても、五月七日鉄屋首席助役の襟を掴んで引っ張った暴行にしても、その局面だけからすれば、全く情状酌量すべき余地なき行為ではあるが、前記のような事情から長崎駅管理者と原告ら国労組合員が鋭く対立し、被告当局側の分割民営化反対の国労組合員に対する差別的ともみられる強硬な姿勢や処遇がその対立の根底にあったことも考慮すべきである。

以上によれば、原告の前記就業規則の各懲戒事由該当の各行為が、通常の職場秩序が保持されていた労使関係において発生したものであれば、原告の前記の懲戒事由該当の非違行為は、到底、職場秩序に順応し難いものとして、原告は、免職処分により職場から放逐されてもやむをえない場合といえよう。しかし本件の場合においては、前述のような事情で、被告の職場秩序が分割民営化に向け、再編制への過渡期で、管理体制が強化されて労使が鋭く対立していた時期であって、長崎駅管理者の国労所属組合員である原告らに対する職場点検のありようも、徹底した職場規律の確立を計ろうとする余り、執拗に過ぎ原告らの反発を誘発せしめる態様のものであったことを考慮すべきである。そうすると、(証拠略)及び弁論の全趣旨によれば、原告には一〇年以上前の昭和五〇年二月二四日、長崎駅の助役に対し傷害を負わせ刑事罰として罰金一万円に処せられた件で停職三か月の懲戒を受けたのを初めとして、同六一年五月三〇日までの間に、別紙1の2ないし10記載のとおり、春季闘争、スト権奪還闘争、その他の闘争に参加指導し、或は業務の正常な運営を阻害したとして、減給三回、訓告五回、戒告一回の懲戒処分を受けていることが認められるが、長崎駅助役に対する傷害は一〇年前のもので古く、その余の懲戒はいずれも争議行為に関するもので前歴としては態様を異にしていることに鑑みれば、以上の懲戒処分歴を考慮してもなお、原告に対する免職の懲戒処分は、その原因となった行為との対比において甚だしく均衡を失し、社会通念に照らして合理性を欠くものということができる。従って、本件処分は、懲戒権者の裁量の範囲を超えた違法なものであり、無効というべきである。

なお、被告は、原告が昭和六〇年四月一日から翌六一年三月三一日までの間、別紙2のとおり非違行為をなしたことにより、同年四月期の定期昇給の際、二号俸減の処分がなされたと主張するが、右非違行為の存在を認めるに足る証拠はない。仮に、右非違行為を理由として二号俸減の処分がなされているとしても、被告が右処分の対象として主張している非違行為の内容は、非違行為の時期からして本件と同様な状況のもとでの本件非違行為よりも程度の軽い上司に対する抗議、雑言等であったと推認されるものであるから、これを考慮に容れても前記の判断を左右するものではない。

六  原告の賃金請求権について

原告は、本件処分当時の原告の賃金は、昭和六一年四月から同年六月までの三か月間の平均で、月額二四万二六一〇円であったと主張するところ、(証拠略)及び弁論の全趣旨によると、原告の本件処分当時の賃金月額は基本給二〇万九六〇〇円及び扶養手当九〇〇〇円の合計金二一万八六〇〇円であったこと、同年四月から同年六月までの間に支給された休日給、夜間手当、特殊勤務手当、通勤手当等については、原告が勤務割により所定の勤務をした場合に支給される割増賃金及び通勤に要する費用であるから、現実に所定の勤務に服しなかった場合には支給されないし、また同年六月に支給されている児童手当についても、同様現実に所定の勤務に服しなかった場合には支給されないこと及び賃金は毎月二〇日に支給されていたことが認められる。

そうすると、原告は、毎月二〇日限り賃金月額金二一万八六〇〇円を請求できることになる。

七  以上によると、原告の本訴請求は、被告に対し、労働契約上の権利を有する地位にあることの確認を求めるとともに、賃金請求につき、昭和六一年九月二日以降本件口頭弁論終結日の属する月の前月である平成元年三月までに発生した賃金合計金六七七万六六〇〇円及び平成元年四月から本判決確定日まで毎月二〇日限り金二一万八六〇〇円の支払を求める限度で理由があるからこれらを認容し、その余は失当であるからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法八九条、九二条但書を、仮執行の宣言につき、同法一九六条一項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 松島茂敏 裁判官 大段亨 裁判官 田口直樹)

別紙1

原告・坂井東大の過去における懲戒処分歴

1、停職三ヵ月 昭和五〇年二月二四日

事由 昭和四六年九月一一日長崎駅構内第二運転室前において、原告が同駅で発生した傷害事故に関し助役に対し「貴様はドロボーだ、鬼だ」等の暴言を浴びせ、同助役のみぞおち付近を突いたため、同助役はコンクリート壁に背中を激突し右背部助骨骨折、治療二週間を要する傷害を負った。この件で原告は刑事罰として罰金一〇、〇〇〇円に科せられた。

2、減給一ヵ月一〇分の一 昭和五〇年九月一日

事由 昭和四九年三月二五日及び同月二六日のいわゆる四九春季闘争を指導した。

3、減給二ヵ月一〇分の一 昭和五一年八月二一日

事由 昭和五〇年一一月二五日のいわゆるスト権奪還闘争を指導し、同年一一月二六日許可なく勤務を欠き業務の正常な運営を阻害した。

4、減給一ヵ月一〇分の一 昭和五三年六月三日

事由 昭和五三年三月一六日長崎駅構内において列車の正常な運転を阻害した。

5、訓告 昭和五四年三月三日

事由 いわゆる五三年秋季闘争を指導した。

6、訓告 昭和五六年七月八日

事由 いわゆる五五年春季闘争を指導した。

7、訓告 昭和五六年一二月一九日

事由 昭和五六年四月三日、長崎駅における出改札ストを指導した。

8、訓告 昭和六〇年九月一三日

事由 昭和六〇年四月一日から同年八月五日までのいわゆるワッペン闘争を指導した。

9、戒告 昭和六一年三月一〇日

事由 昭和六〇年八月五日いわゆる国鉄再建監理委員会答申抗議闘争を指導し、同日許可なく勤務を欠き業務の正常な運営を阻害した。

10、訓告 昭和六一年五月三〇日

事由 昭和六一年四月一〇日から同月一二日までのワッペン闘争に参加指導した。

別紙2

原告の昭和六〇年四月一日から同六一年三月三一日の間の非違行為について

1、昭和六〇年五月一六日八時四八分ごろ、長崎駅営業開発センターの点呼の際点呼摘発メモ行為を続けていたので、金子主任が注意をすると「点呼は何のためするのか。」「メモがどうして悪いのか。」など大声で抗議し、点呼を妨害した。

2、昭和六〇年五月一八日八時四二分ごろ、営業開発センターの点呼の際、金子主任が服装の整正、メモ行為に対して注意指導をすると同主任の顔を暫くにらみつけ「解らん」と大声で威嚇した。

3、昭和六〇年五月二二日八時四二分ごろ、営業開発センターの点呼の際、メモ行為、氏名札着用について再三再四注意したことに対し、すごみをきかせてにらみつけ管理者を威嚇した。

4、昭和六〇年五月二三日八時三五分ごろ、営業開発センターにおいて、金子主任が置いてあった組合情報紙を預っていたところ、「勝手にするな。」「何が悪いか。」「少し地位が変わったからといってあんまりするなよ。」「あんまりすると、やるけんね。」「今、だまっているばってん自分を考えてみろ。」等、同人に対し脅迫・暴言を繰り返した。

5、昭和六〇年六月七日一三時二九分ごろ、金子主任が営業開発センターの組合掲示板の横に国鉄新聞、県評新聞を提出していたので撤去するよう通告すると「そげん小姑みたいなことは言わんでいいたい。」と言って管理者を侮辱した。

6、昭和六〇年六月一四日八時四七分ごろから八時五六分ごろの間、営業開発センターの点呼の際、庶務助役がメモ行為を中止するよう注意したところ「勝手にするか。」「何すっとや。」と大声でわめいた。また庶務助役が訴外野口職員のメモを預かったところ、同助役に威嚇するようにつめより、そのあとで「ドロボー、ドロボーが始まったドロボードロボー。」と大声で点呼の席を離れ、窓の外に向かって叫んだ。

7、昭和六〇年六月一四日一六時四〇分ごろ、営業開発センターで庶務助役が一七時一五分の勤務終了前に着替えをしていた原告らに対し注意をすると、「勝手にしなさんな。」「そがんすると朝の点呼が終わってから着替えるよ。」「そんなことは誰が決めた。」「そがんなっていないやろが勝手にしなさんな。」と暴言を吐いた。

8、昭和六〇年六月一四日一七時一三分ごろ、金子主任に対し「あんまり、のぼせんごとせん。」「あんまりえらぶるな。」「お前から家のことまで言われんでいい。」「暴言でも何でも関係あるか。」「お前たちは人間ではない。」等と暴言を吐き、同主任に掴みかかろうとした。

また、湯呑みが数個入ったお盆を持ってきて机の上に投げ捨て、椅子を手で持ちあげ投げつけた。その後、作業服をぬぎすて、「やるなら来い。」と言って同主任に掴みかかろうとした。

9、昭和六〇年七月二七日九時三八分ごろから九時四四分ごろの間、輸送本部前で長崎管理部総務課・小柳一誠係長に「国鉄がつぶれるとは何か、つぶれるという事は国鉄は何も言っていない。」と抗議し、顔をくっつけんばかりに近づけ「何か、お前が」と大声で暴言を吐いた。

10、昭和六一年三月一一日一五時七分ごろ、長崎駅構内詰所で処分通知の際、庶務助役に掴みかかろうとして「もう一回言うてみろ。」「俺達に世話になっとるくせに。」また首席助役に対し「小荷物の時、何しよったか。」「いまいま来っとて。」「もってこい。」「そんなら糞食えと言ったら、糞食わにゃいかんとか。」と暴言を吐いた。

別紙3 処分者一覧表

<省略>

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例